【ビッグクラブの回顧録】“あの時”のバルサを振り返る Vol.9~1999-2000シーズン ~

2015年12月03日 サッカーダイジェストWeb編集部

勝負の3年目で無冠に終わり、ファン・ハール体制は終焉へ。

リーガではデポルティボの後塵を拝し、無冠でシーズンを終えたバルサ。シーズン後には大改革が行なわれることになり、何人もの選手が退団した。そしてフィーゴは、禁断の移籍を果たすことに……。写真はリーガ第29節のデポルティボ戦(2-1で勝利)。 (C) Getty Images

 ルイス・ファン・ハール体制の3年目。冷徹かつ独善的という印象を抱かれたこのオランダ人監督はバルセロニスタから全く好かれていなかったが、過去2シーズンでリーガ連覇を果たすなど結果は残していた。
 
 このシーズン、選手獲得リストに主力級オランダ人選手はいなかったが、アヤックスからヤリ・リトマネンが加入。まるで1995年に欧州&世界制覇を果たしたチームが再現されようとしているようであり、それはバルセロニスタにとって受け入れられるものではなかった。
 
 そしてシーズン開幕。3連覇を狙ったリーガでは、序盤こそ首位に立つなど幸先の良いスタートを切ったバルサだったが、10節でデポルティボに敗れるとそこから4連敗を喫して大きく順位を落としてしまう。
 
 一方、過去2シーズンは無残な結果に終わったチャンピオンズ・リーグ(CL)では、1次でフィオレンティーナ、アーセナル、AIKソルナを抑えて首位、2次リーグでもポルト、スパルタ・プラハ、ヘルタに5勝1分けの好成績を挙げてベスト16に名を連ねる。

 そして準々決勝では、チェルシー相手に延長戦までもつれ込みながら、これを撃破した。
 
 この時、バルサはリーガ、国王杯、そしてこのCL全てで優勝の可能性を残していたが、シーズン終盤、失望が次々に彼らを襲った。
 
 まず、アトレティコ・マドリーとの国王杯準決勝では、前代未聞の不戦敗。これは、試合日程に対する不満の意を示してのことであり、試合当日に10人のスタメンを発表し、ピッチ上でキャプテンのジョゼップ・グアルディオラが主審に試合放棄を伝えたのである。
 
 この暴挙とも言うべき行為は当然ながら各方面から非難を浴び、サッカー連盟からは罰金などのペナルティが下った。
 
 そしてCLでは、準決勝でバレンシアに敗北。アウェーでの第1戦でガイスカ・メンディエタやクラウディオ・ロペスらに守備を切り裂かれて4点を失った(1-4)ことが大きく響き、カンプ・ノウでは勝利(2-1)を挙げるも及ばなかった。
 
 またもCL制覇はならず……。バルセロニスタは失望し、リーガ最終節を迎える頃には、ファン・ハールだけでなく、ジョゼップ・ルイス・ヌニェス会長の辞任を求める声が日増しに高まっていた。ふたりが生き延びるには、勝点3差で首位を走るデポルティボを逆転し、リーガ3連覇を飾るしかなかった。
 
 そして最終節。ヨハン・クライフ時代のような、最終節での奇跡が起こることはなかった。デポルティボがエスパニョールを2-0で下したのに対し、バルサはセルタ相手に2-2の引き分け……6年前の雪辱を許したのだった。
 
 これで、ファン・ハールの命運が尽きるとともに、22年間にわたってクラブの実権を握り、その強烈な個性で数々の混乱を引き起こしながらも、バルサを世界最大の規模にまで成長させた功労者であるヌニェス会長が、その座を追われることになった。
◎1999-2000シーズン成績
リーガ:2位(19勝7分け12敗・70得点46失点)
国王杯:準決勝敗退(対アトレティコ・マドリー)
チャンピオンズ・リーグ:準決勝敗退(対バレンシア)
 
チーム内得点ランキング(リーガ):クライファート(15点)、リバウド(12点)、ダニ(11点)、フィーゴ(9点)、コクー(6点)、L・エンリケ(3点)、リトマネン(3点)、ゼンデン(2点)、ボハルデ(2点)、ガブリ(2点)、シモン(1点)、R・デブール(1点)、アベラルド(1点)、セルジ(1点)
 
◎主なトランスファー
◇IN

DF デウ(←ランス)
DF プジョール(←ユースから昇格)
MF リトマネン(←アヤックス)
MF シモン(←スポルティング)
MF ガブリ(←ユースから昇格)
FW ダニ(←マジョルカ)
◇OUT

GK V・バイア(→ポルト)
GK ブスケッツ(→ジェイダ)
DF ナダル(→マジョルカ)
DF ペジェグリーノ(→バレンシア)
MF ジオバンニ(→オリンピアコス)
MF セラーデス(→セルタ)
MF ロジェール(→エスパニョール)
MF チリッチ(→AEKアテネ)
FW S・アンデルソン(→リヨン)
FW オスカール(→バレンシア)
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