史上初の3冠も「本当に弱いチームだった」。秋田豊が2000年の鹿島を回想「よく獲れたよな、っていう時に獲れた」

2023年03月04日 サッカーダイジェストWeb編集部

「だって、勝つためにやっているわけだから」

鹿島のレジェンド秋田氏が、史上初の3冠を成し遂げた2000年シーズンや“常勝”の歴史を紐解いた。(C)SOCCER DIGEST

 J3のいわてグルージャ盛岡で社長兼オーナーを務める秋田豊氏が、元日本代表MF鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルに出演。現役時代に所属していた鹿島アントラーズの"3冠"を振り返った。

 鹿島は2000年にJ1、ナビスコカップ、天皇杯を制して国内3冠を達成。史上初の快挙で、秋田氏は経験豊富なDFとしてタイトル総なめに貢献した。

 当時の鹿島について、秋田氏は「ジーコスピリットが(小笠原)満男たちに上手く伝達できた瞬間だね」と回想する。

「たとえば、鈴木隆行とかヤナギ(柳沢敦)とか満男、中田浩二とか本山(雅志)とかソガ(曽ケ端準)とか。彼らが中心となった世代。自分もいたんだけど、そこはサポートというか。脂の乗っている選手たちを上手くコントロールできた時」

"常勝軍団"として覇を唱えた鹿島だが、秋田氏は「全然良くなかった」と語る。

「(監督のトニーニョ・)セレーゾが来て、3-4-3をやって、上手く機能しなくて。最後の3か月だけ、グッとチームが上がった。セカンドステージで、点が取れないから守って守って、カウンターで1点、セットプレーで1点とか。そういうので何とかギリギリ、チャンピオンシップに出て、っていう状況の、本当に弱いチームだった」

 鈴木氏が「全然そうは見えなかった」と投げかけても、秋田氏は「めちゃくちゃ弱かった」と繰り返し、「よくこれで3冠を獲れたよな、っていう時に獲れた」という。
 
「勝つとやっぱり自信を持つから。そこから勝っていって、ナビスコと天皇杯も獲れた」

 この時の3冠を含め、鹿島は主要タイトルで国内最多の20冠を誇る。輝かしい歴史の背景について、秋田氏は次のように話す。

「その時、その時の、メンバーであり、環境であり、それによってサッカーを変えられる。97年は全く違うサッカー。前からプレッシングかけて、圧倒的に強いサッカーをやっていたけど、2000年の時は守備から入ってカウンターのサッカー。それに関しては全く違和感がない。だって、勝つためにやっているわけだから。今のこの選手で、どうやって勝つのかってことを考えてやっているから」

 勝利から逆算して、やるべきことをやる。それが鹿島の流儀のようだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

【PHOTO】前人未到の20冠!鹿島アントラーズが獲得した全タイトルを秘蔵写真で振り返り!

【動画】秋田豊と鈴木啓太が対談。鹿島が史上初の3冠を達成できた秘密

【PHOTO】鹿島アントラーズの歴史を彩った名手たちと歴代ユニホームを厳選ショットで一挙紹介!
 

次ページ【動画】秋田豊と鈴木啓太が対談。鹿島が史上初の3冠を達成できた秘密

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事