移籍先を模索も、思いも寄らぬ提案が――ヴェルディ育ちの小林裕紀が町田で新たな道を歩む「現役時代の自分を指導者として超えたい」

2023年02月15日 海江田哲朗

育成年代のスペシャリストから打診

セカンドキャリアは指導者の道へ。多忙だが充実の日々を送る。写真:海江田哲朗

 30年目のJリーグ、2023年シーズンの開幕に向けて活気づくなか、新たな道に歩み出した人がいる。磐田、新潟、名古屋、大分などで活躍した小林裕紀氏は昨季を持って現役から退き、FC町田ゼルビアユースのコーチングスタッフの一員に加わった。

「この時期、毎年やってきたものとは違うことに取り組み、新たなサイクルを過ごしている点では新鮮さがあります。選手時代の名残で、始動の動きやキャンプなど周りの様子が気になるのかなと思っていたんですが、それどころではなかったですね。日々、指導者の仕事で覚えなければいけないことばかりで充実しています」

 小林氏は東京Vのアカデミーで育ち、明治大を経て、2011年、磐田でプロのキャリアをスタート。ルーキーイヤーから中盤の底に定位置を確保し、33試合に出場している。

 プロ12年間の足跡は、J1通算256試合4得点、J2通算43試合1得点。カップ戦を含めて、365試合6得点の堂々たる数字を残した。

 現役時代を回顧し、小林氏はこう語る。

「2013年、ジュビロをJ2に落としてしまった申し訳なさはいまだに残っています。試合に出させてもらいながら、自分のパフォーマンスがチームにとって効果的なものにならず、勝つために何も貢献できない。それまでタイトルをバンバン獲って強豪の地位を築いたクラブを初めて降格させてしまい、僕自身はそのあと移籍をしていますし……。降格は2021年の大分でも経験し、力不足を感じました。残留争いにかかわることが多かったなかで、唯一、上位争いに立ち会えたのが2017年の名古屋。3位からプレーオフを勝ち抜いて昇格した経験は貴重で、大きなプラスになったと思います」

 そもそも、なぜセカンドキャリアのスタートが町田だったのか。

「昨年、大分を契約満了となった時点では現役を続けるつもりでいました。まだプレーしたい意欲があり、身体も特に問題ありませんでしたから。ところが、新しいチームがなかなか決まらず、話が浮かんでは消えるという状況のまま年が明け、少し経った頃でしたね。思いも寄らなかったご提案をいただいたのが」
 
 提案の主は、指導者の適性ありと見た町田の菅澤大我アカデミーダイレクター(以下、AD)だった。

 菅澤ADは男女ともトップでの指導経験を持ち、特に育成年代のスペシャリストとして知られる人物だ。東京V、名古屋、京都、千葉、熊本での仕事を経て、2021年から同職。アカデミー部門をまとめ上げ、強化を主導している。小林氏は東京V時代の教え子のひとりだ。

「現役の頃は先のことをあまり考えずにやってきて、選手を辞めたあとのビジョンは具体的に固まっていませんでした。難しい状況に置かれた際、連絡を取り合っていた大我さんからこういう道もあるぞと。町田に所属したこともない自分に対し、そうそうあることではないので、うれしかったですね。

 これまで出会った指導者の方々からは大なり小なり影響を受けていますが、特に大我さんから与えられたものは最も多く、自分が選手として生きるうえで基盤を作ってくれた人です」
 

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