「ペップがいて…ギャップに対応できなかった」家長昭博が“3分で決めた”マジョルカ移籍を回想!「みんな助けてくれへん」

2023年01月14日 サッカーダイジェストWeb編集部

「Jリーグからスポーンと行ったんですよ」

2度に渡ってマジョルカでプレーした家長。(C)Getty Images

 川崎フロンターレのMF家長昭博が北海道コンサドーレ札幌に所属するDF西大伍のYouTubeチャンネルにゲスト出演。これまでのキャリアなどについて語った。

 その家長が、2010年(出場は2011年から)に初の海外移籍を果たしたのがスペインのマジョルカだった。ラ・リーガのレベルについて、「自分にはハードルが高かったかな」と切り出したレフティは、「(キャリアを少しずつ)刻んで行くのは大事かなと思いますね、海外も」と振り返った。

「その時、リーガはバルサにペップ(ジョゼップ・グアルディオラ監督)がいて、(ジョゼ)モウリーニョが(レアル・)マドリーで、バチバチでかなりレベルが高かったところに、俺、Jリーグからスポーンと行ったんですよ。ギャップに対応できなかった」
 
「でも、いまやったら、もっといろんな国に行って、また違う国に行って…みたいな人も多い。そういうのも選択肢やったなと思います」と語った家長に対し、西が「え~、でも(オファーが)あったら行くじゃん? 絶対」と返すと、「行きます。俺、3分で決めた」と即決だった事実を明かした。

 現在36歳となったテクニシャンは、「日本人がパッと行って、外国のチームの中でやるのと、日本代表とか日本のチームで海外チームとやるのは全然違う。みんな助けてくれへん。そういう意味では個人的には力が足りなかった」と続けている。

 後にJリーグのMVPに輝く名手でもあっても、当時なかなか日本人選手が成功できなかたリーガでのプレーは難しかったようだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

【動画】「自分にはハードルが高かった」家長昭博がマジョルカ時代を回想

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