「40までやるっていったじゃん」子どもたちにツッコまれるも、藤本淳吾が引退を決めた理由「そういうタイミングなのかな」

2023年01月12日 広島由寛(サッカーダイジェストWeb編集部)

「葛藤はゼロではなかった」

昨季限りで現役を退いた藤本。1月12日に引退会見が行なわれ、家族の名前が入った特性のスパイクが送られた。(C)SOCCER DIGEST

 1月12日、元日本代表MFの藤本淳吾が現役引退記者会見を実施。昨季限りで17年間のキャリアにピリオドを打った理由について語った。

 SC相模原がクラブ初のJ2を戦った2021年シーズンの開幕直後、37歳を目前にしていた藤本は「40歳までやりたい」と意欲を燃やしていた。

 ただ、見定めていた年齢に達する前に、藤本はスパイクを脱ぐ決断を下す。現役続行への想い、葛藤はなかったのか。

「葛藤はゼロではなかった」。ただ、歳を重ねながらセカンドキャリアも意識していた。現役を退いたら、自分は何をやりたいのか。「サッカーに携わるのはもちろんなんですけど、自分はやっぱり監督をやりたい、目ざしたいっていう気持ちをずっと持っていた」。

 そして22年シーズンで相模原を退団。「そういうタイミングなのかな」と決心する。

「一度、相模原のチームメイトと話をしたんですよ。S(級ライセンス)を取ってもすぐ監督になるわけじゃないし、だいたい何年ぐらいかかるかな、って。同世代や年代が近い人たちが監督をやっているなかで、50歳手前ぐらいから監督になると考えたら、遅いかなと思った」

 監督になる――明確な目標がある。「指導者としてスタートを切りたかった。だから、すごく葛藤したわけでもなかった。悔いはない」と明かす。
 
 これまで手厚いサポートをしてくれた妻には「やり切った」と伝えた。子どもたちからは「『40までやるっていったじゃん』『なんで辞めるの?』とツッコまれた(笑)」という。

 ただ、仮に現役を続けたとして、新天地はどこになるか分からない。「今の家から、自分1人で行ったりとかも考えた。それよりも、家族と一緒に生活するほうがいいかな」という想いも、引退を決めた理由の1つだ。

 次のステージは、古巣である横浜のスクールコーチだ。清水、名古屋、G大阪、京都、相模原と6クラブに在籍し、日本代表でも活躍したレフティが、豊富な実績と経験をもとに子どもたちを指導する。新たな道を行く藤本の今後に期待したい。

取材・文●広島由寛(サッカーダイジェストWeb編集部)

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