夜中の1時、上田綺世が恩師の携帯を鳴らす――原点を忘れない男の気遣い。後輩も「本当に凄い」と憧れのまなざし【W杯】

2022年11月26日 松尾祐希

茨城県リーグ1部で、18試合で33得点

カタールW杯に参戦中の上田。大舞台での活躍を恩師・鈴木監督も楽しみにしている。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部/JMPA代表撮影)

 現地時間11月20日に開幕したカタール・ワールドカップ。4年に一度の祭典に、日本は7大会連続7回目の出場。育成年代で代表メンバーに携わってきた恩師たちも、大舞台でのプレーを心待ちにしており、活躍を待ち望んでいるだろう。

 FW上田綺世(サークル・ブルッヘ)を高校時代に指導した鹿島学園の鈴木雅人監督も、その1人だ。上田が同校に入学したのは2014年の4月。当時は170センチほどで、鹿島アントラーズノルテJrユースから鹿島ユースに昇格を果たせずに高校サッカーの門を叩いた。

 以前、当時の上田の印象を鈴木監督はこう話していた。

「1年生の頃は身体が出来上がっていなかった。スピードも2年生の後半にかけて上がってきて、ようやく身体的に成熟してきたんです。特に2年の終わりから3年の頭にかけて、得点を取る幅が広くなりました。右足、左足、頭、プレーの幅、動き出すタイミング。そういう(ゴールを奪うスキルの)吸収率が急に上がったように思えましたね」

 いわゆる晩成タイプ。高校入学直後はフィジカル面で苦戦し、結果が出なかった。だが、徐々に身体の成長が進むと、身長が180センチを超えた高校3年生を迎えてからは結果が伴うように。

 ストライカーとしての才能が一気に花開き、茨城県リーグ1部で、18試合で33得点をマーク。インターハイや選手権でも勝負を決めるような印象的なゴールも少なくなかった。
 
 今でも覚えているのが、3年次のインターハイ予選決勝だ。CKのこぼれ球を拾った上田は自陣から一気に持ち運び、50メートルを独走して1人でゴールを決め切った。

 目覚ましい活躍を見せた一方で、Jクラブのスカウトから評価を得られていたわけではない。ゴールを奪う以外のスキルに課題があり、怪我を抱えていた点も含め、高卒での即プロ入りは難しいというのが大半の評価だった。

 卒業後は法政大に進んだが、1年次からゴールを重ねて活躍。1つずつ課題と向き合い、プレーの幅も広がった。大学3年の夏には、中学時代を過ごした鹿島に卒業を待たずに入団。そういう意味では大学進学という選択は正しく、また鹿島学園時代に築いたベースがなければ、今の自分はなかっただろう。

 鹿島学園での日々は今も忘れていない。恩師への感謝を上田は持ち続けている。機を見て学校に顔を出し、今夏もベルギーリーグ挑戦と結婚の報告を兼ねて鈴木監督のもとに足を運んだ。

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