連載|熊崎敬【蹴球日本を考える】走り続けた湘南に実りの秋が待っていた。

2015年10月18日 熊崎敬

湘南スタイルの礎となる3つの哲学。

長い時間をかけて培ってきた湘南スタイルが、3度目の挑戦でJ1残留という果実を結んだ。写真:サッカーダイジェスト

 年間総合最少失点、第2ステージ3位につけるFC東京を倒し、3試合を残して湘南がJ1残留を決めた。
 
 1999年のJ2陥落以降、湘南は2009年、12年とJ1昇格を果たしながら、10年18位、13年16位と1年での降格を余儀なくされた。つまり彼らは、3度目の正直で残留の二文字を勝ち取った。これは快挙といっていい。
 
 この残留は、10年の蓄積の果実といっても過言ではない。
 
 現社長・大倉氏が強化部長に就任した05年以来、湘南は一貫した哲学の下でチーム作りを推し進めてきた。
 
 その哲学とは生え抜き主義であり、ハードワーク主義であり、攻撃主義だ。
 
 予算が限られた湘南が、ライバル犇めく神奈川で勝てるチームを作ろうとしたら、育成を疎かにすることはできない。加えて個々の力量の差を埋め合わせるには、タフに戦い続ける精神と肉体のたくましさが求められる。
 
 最後の攻撃主義は、平塚時代に培われた「暴れん坊」カラーの継承だ。親会社や大きな市場を持たない地方チームが経営を安定させるには、ひとりでも多くのファンに足を運んでもらうことが大事になる。それには、「スタジアムで見たい」と思わせる面白いゲームをしなければならない。
 
 この3つの哲学が結びついて、無名の若者たちがひたむきに戦い抜き、リスクを負っても積極果敢にゴールを狙う湘南スタイルが培われた。
 
 曺監督が就任した12年、すでに湘南スタイルは一定のレベルで確立されていた。指揮官の教え子である永木、高山、菊池、古林、遠藤が縦に鋭い攻撃を繰り広げ、この年、J1昇格を成し遂げる。
 
 だが、J1では通用しなかった。
 
 強豪と互角に渡り合っても、内容の良さはスコアに結びつかず、J2へのUターンを余儀なくされた。
 
 このとき私は試合を見るたびに、「どうして勝点1を取りに行く、堅実な試合運びに切り替えないのだろう」ともどかしい思いを抱いていた。だが、勝てなくてもフロントは信念を貫き、サポーターも曺監督を支持し続けた。それがなければ翌年のJ2での記録づくめの快進撃はなく、悲願のJ1残留もなかっただろう。彼らは正しかったのだ。
 
 こうした湘南の躍進を象徴するのが遠藤だ。湘南は過去、中田英寿氏、名良橋晃氏など代表クラスを輩出してきたが、ユース育ちでA代表に選ばれたのは遠藤が初めてだ。
 
 湘南だからこそ遠藤は大きく伸びた、そういっても決して過言ではないはずだ。
 
 リスクを恐れず果敢に攻める湘南では、選手たちが次々とポジションから飛び立ち、前の味方を追い抜いていく。最終ラインも例外ではなく、遠藤もチャンスと見るや大胆に前線に駆け上がる。
 
 守備だけでなく攻撃も要求され、積極的なミスを許容する湘南の風土があればこそ、彼は器を大きくすることができたのだ。
 
 自力でつかんだチーム史上初の快挙。グリーンに染まったゴール裏には、涙をぬぐう人々の姿があった。
 
 涙していたのはサポーターだけではない。アカデミー出身の古参、菊池もまた目を潤ませていた。
 
「自分たちのサッカーを信じてやり続けたからこそ、J1残留をつかめたと思います。落ちた時も、これを続ければ強くなれるという気持ちは失わなかった。僕らが限界まで走り切れるのは、この仲間のために、と思えるスタッフやチームメイト、サポーターがいるからかもしれないですね」
 
 3度目のJ1挑戦、走り続けた湘南に実りの秋が待っていた。
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