「クオリティに驚かされた」中村俊輔が残した“偉大な功績”を英国人記者が回想。スコットランドを軽視していたイングランドのファンがこの日本人をリスペクトした【現地発】

2022年10月26日 スティーブ・マッケンジー

彼が道を切り拓き、後輩に道を作った

セルティックでは4シーズン主力としてプレーした中村。(C)Getty Images

 シュンスケ・ナカムラ(中村俊輔)がついに現役を引退したというニュースがここイングランドにも届いた。英国内でも、彼が劇的な影響を与えたスコットランドでは、はるかに大きな話題として取り上げられた。 

 1999年、私は当時横浜F・マリノスでプレーしていた中村にインタビューするために来日した。彼はまだ 21歳で英語も話せなかったが、快く受け入れてくれた。インタビュー中、彼の「学びたい」という意欲が伝わってきたのをよく覚えている。

 それから6年後、中村がセルティックに加入してグラスゴーにやってきた時、少なからずワクワクした。ただ正直、彼がこのスコットランドの名門でここまで影響を与える選手になるとは思っていなかった。

 彼は中心選手として、在籍4シーズンで、リーグ制覇3回、スコティッシュカップ1回とリーグカップ2回の戴冠に貢献。多くのセルティックファンにとって、中村が初出場を果たしたダンディー・ユナイテッド戦は、同クラブの選手による最高のデビュー戦のひとつとして記憶されている。

 セルティックのファンは、中村がトレーニングの後、フリーキックの練習に何時間も費やす様子を見て、とても感銘を受けた。
 
 2006 年にチャンピオンズリーグのマンチェスター・ユナイテッド戦で決めた2本のFKは、セルティックにとって重要なだけでなく、英国中のサッカーファンに中村が特別な選手であることを示した。

 正直に言って、イングランドのファンはスコットランドのサッカーを軽視していた。だが、そのスコットランドのチームの選手が"イングランドの巨人"に対して美しいゴールを、1度ではなく2度も決めたのだ。皆が、中村が誰であるかを知り、この日本人をリスペクトした。

 中村はパイオニアであり、日本の選手が英国でもやれるという信頼を与えた。勤勉で常にベストを尽くすという日本人選手は珍しくはない。驚かされたのは中村のクオリティだった。

 中村が可能性を示していなければ、いまセルティックで活躍している日本人選手たちもここにはいなかっただろう。彼が道を切り拓き、後輩に道を作ったのだ。

 セルティックのサポーターは彼に恋をし、その後にクラブに来たすべての日本人選手は、ファンとメディアから中村のパフォーマンスを見る機会を与えられた.

 このレフティは 2006-2007 シーズンにセルティックがCLのベスト16 に進出する原動力となった。彼らは延長戦で、カカ、アンドレア・ピルロ、パオロ・マルディーニ、クラレンス・セードルフなどのワールドスターを擁すミランに敗れた。中村がいなければ、こうしたトップクラブと好勝負を演じるのは不可能だった。

 中村は、クラブを離れてから16年経った今でも、セルティックファンから本当にリスペクトされている。その事実だけでも、どれだけ強いインパクトを残したのかが分かるだろう。

文●スティーブ・マッケンジー(サッカーダイジェスト・ヨーロッパ)

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