現地紙コラムニストが綴る――武藤嘉紀のブンデス挑戦記「健全かつ好調なマインツを創り上げた自動車販売業者」

2015年10月07日 ラインハルト・レーベルク

敏腕マネジャーは2部リーグ時代、無償でクラブ運営に携わる。

今夏、チェルシーも獲得に乗り出していた武藤を、自ら日本に足を運んで説得したハイデル・マネジャー。彼のマインツでの業務は多岐にわたっている。 (C) Getty Images

 代表ウィークに入った今、ここまでの「まとめ」をしてみよう。果たしてマインツは、この夏にどのくらい良い買い物をしたのだろうか?
 
 経済的に見れば、マネジャーのクリスティアン・ハイデルは大成功を収めた。3500万ユーロの収入に1200万ユーロの支出。マインツは自己資金額において、バイエルンに続いて良いクラブのひとつである。
 
 とはいえ、ブンデスリーガのクラブのマネジャー業とは、常にカミソリの刃の上に乗っているようなものでもある。もしスポーツ的に機能せず、シーズン序盤に十分な勝点を得られなければ、「高く売って、安く買う」というマインツの強化戦略は、サポーターの間で議論を巻き起こすだろう。
 
 もっとも、サポーターによる厳しい批判は、マインツの伝統にはない。少し文句を言うことはあっても、ハイデル・マネジャーに対する根本的な信頼は揺るがないのだ。
 
 1963年生まれのハイデルは25年にわたって、このクラブの強化を任されている。1987年より会長を務めるハラルト・シュトルツが、90年代初頭に若きハイデルを連れてきたからだ。
 
 ハイデルは当時、ブルヒベーク・シュタディオン(当時のホームスタジアム)から800メートルしか離れていない場所で、自動車販売店を経営していた。その事務所で15年間、当時2部リーグにいたマインツの仕事を、副業的にこなしていたのだ。名誉職、つまり無償で、である。
 
 当時のハイデルの机の上には、車のパンフレット、価格表、特別仕様のリスト、リース契約書などのすぐ隣に、選手のオファーリスト、移籍金の請求書などが並んでいた。そのうち、壁にはスタジアムの段階的拡張プラン、もっと後には新スタジアムの建築プランなどが張られるようになった。
 
 最初の頃は、新加入選手に10万マルク(約5万ユーロ)の移籍金を払えば、それがリスク投資だと言われたものだ。逆に97年、5部リーグから獲得したアブデルラヒム・ウアキリを1860ミュンヘンに売って70万マルク(約35万ユーロ)を得た時には、センセーショナルだと騒がれた。
 
 マインツが2002年に1部昇格を懸けて戦い、最終節にそれを逃した時、ハイデルは選手たちに多額のボーナスを払わなければならず、クラブ財政が危機に陥ったことがあった。彼が移籍金による収益で"生き延びる"というやり方を明確に選択したのは、この時点からだった。

次ページ選手売却の収入システムを確立し、クラブを正しい方向に導く。

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