【甲府】確かな足跡を残した長谷川太郎の「最後の勇姿」

2015年10月05日 渡辺 功

甲府時代の05年に大ブレイク。初昇格の原動力に。

引退試合には、かつてともにプレーした盟友らが集結。長谷川の両隣りには都並(元V川崎など)や水内(元浦和など)の姿も。写真:渡辺 功

  秋晴れとなった10月最初の日曜日。JR「舞浜駅」から東京ディズニーランドとは反対方向に、歩いて10分ほどの距離。今年4月に新設されたばかりの浦安市運動公園陸上競技場で、ひとりの選手の引退試合が行なわれた。 
 
 長谷川太郎36歳。柏ユースから98年にトップ昇格して以来、約17年間7つのクラブでプレー。昨年4月に「やり残した夢だった海外でのプレー」をインド1部リーグで果たしたのを最後に、現役生活を終えたストライカーだ。そのキャリアのなかで、多くのサッカーファンに最も印象強く残っているのは、甲府時代ではないだろうか。 
 
 甲府移籍3年目だった05年。それまでのキャリア7年間で計4得点にとどまっていたFWが、このシーズンのJ2日本人最多となる17得点をあげる大ブレイク。そのキレのあるドリブルに、マッチアップしたあるDFは「完全にカモにされた。J2にも、あんなFWがいるんだと思い知らされた」と脱帽したほど。バレーと組んだ2トップは、甲府を初のJ1昇格へと押し上げる大きな原動力となった。
 
 この引退試合を企画、運営したのは、先ごろ関東サッカーリーグで優勝した「ブリオベッカ浦安」。長谷川が、まだ千葉県リーグだった前身の浦安JSC時代の11年から3年間プレーしたクラブだ。
 
 このカテゴリーでは"異例"とも言える大掛かりな引退試合について、石下智大マネージャーは「県リーグの壁をなかなか越えられなかったウチのクラブに、太郎さんがすごく大きなモノを伝えてくれた。その感謝を形にしたかった」と言う。
 
 もうひとつの理由が、「ブリオベッカ」の新しいホーム浦安市運動公園陸上競技場の存在だ。「太郎ちゃんに、このピッチに立ってもらいたかった」(秋葉勇志選手会長)。

次ページ「日本人のW杯得点王育成」を目標に、今後は指導者の道へ。

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