現地紙コラムニストが綴る【武藤嘉紀のブンデス挑戦記】「柵の上の王様」になった武藤に、嬉しい「フンバ」の洗礼

2015年09月02日 ラインハルト・レーベルク

武藤は照れくさそうに笑いながらゴール裏フェンスへ。

2ゴールの大活躍で「柵の上の王様」になった武藤が、ゴール裏フェンスで初体験した「フンバ」とは――。 (C) Getty Images

 新天地マインツでの1年目、はたして武藤嘉紀はどんなパフォーマンスを見せるのか。現地紙でコラムニストを務めるラインハルト・レーベルク記者の筆で、武藤の「挑戦記」をお届けする。
 
――◆――◆――
 
 8000人のファンで埋まったゴール裏の立ち見席から大合唱が沸き上がる。
 
「ムトーを柵へ、ムトーを柵へ、ムトー、ムトー、ムトーを柵へ――!」
 
 マインツの選手にとって、これ以上の名誉はない。ほぼ全てのホームゲームで、その試合で最も活躍した選手、特別な勝利を収めた時にはチーム全員が、このリズミカルな合唱によってゴール裏フェンスに上るよう促される。
 
 ハノーファーを3-0で破った試合で、この「柵の上の王様」(Zaunkonig=ミソサザイという鳥の名前でもあるが、直訳すると柵の王様)に選ばれたのが、武藤嘉紀だった。
 
 暑かったこの日、武藤はコファス・アレーナで2ゴールをマークし、マッチウイナー(勝利の立役者)となったのである。
 
 この勝利の儀式は、ほとんどドイツ語の知識のない外国人選手にとっては、そう簡単なものではない。「柵の上の王様」は、拡声器を手に「フンバ」を主導しなければならないのだ。歌いながら飛び跳ねるセレブレーションがフンバで、いまやドイツ中のスタジアムでお馴染みの光景だが、発祥の地はここマインツだ。
 
 そもそもフンバとは、マインツ伝統のカーニバルソング「フンバ・テーテラ」のことで、1964年から歌われている。1989年に80歳で亡くなった屋根職人のマイスターで、マインツのカーニバルのイコン(象徴的な存在)だったエルンスト・ネーガーが歌うフンバ・テーテラが有名だ。
 
 マインツのカーニバルはドイツでもっとも盛大な祭礼のひとつであり、11月から始まり2月初頭にピークを迎える。仮面をつけて仮装した老若男女が、木曜日から「薔薇の月曜日」、そして「灰の水曜日」まで、山車とともに街をパレードしながら「フンバ、フンバ、フンバ、テーテラ」と歌うのだ。
 
 マインツのフンバ・テーテラは世界中に知れ渡り、アフリカのある国ではこれがドイツの国歌だと信じられていた、などという逸話もあるくらいだ。
 
 そして先週の土曜日、武藤はちょっと照れくさそうに笑いながら、柵に上った。
 
 スタジアムアナウンサーのクラウス・ハフナーが呼びかける。
 
「初の日本のフンバを!」

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