ビギナー向けの「マドリディスモ論」――クラシコ完敗でマドリーが失った“2つのもの”【現地発コラム】

2022年04月04日 エル・パイス紙

マドリーにとって何より屈辱的なのは、試合に負けることよりもタイトルを失うこと

マドリーのファンは静かにプレーを見守ることが多いとバルダーノ氏は指摘する。(C)Getty Images

 バルセロナは敵地サンティアゴ・ベルナベウで、持ち前のフットボールを全開させレアル・マドリーに大打撃を与えた。シャビ監督率いるチームはクオリティの高いプレーを見せた。終始攻勢を仕掛け、堂々とした勝利(4-0)を収めた。

 バルサのフットボールはアリストクラシー的な威厳を感じさせる。サニェーラ(カタルーニャの旗)仕様のユニホームは、クラブを超えた存在であることを改めて認識させる。これらの要素は、結果以上にバルサの存在を正当化させる文化的な重みとしての役割を果たしている。

 対してマドリーは、スペインらしさに普遍性を見出す。"ロス・ブランコス"にとっては勝つことが最大の存在意義であり、スペクタクルを好むが、基準となるスタイルは持ち合わせていない。

【動画】バルサが怒涛の4ゴール!衝撃の結果に終わったエル・クラシコ
 特定のアイデアよりも選手のクオリティへの依存度が高いため、アルフレッド・ディ・ステファノ、ラウール・ゴンサレス、ジネディーヌ・ジダン、ルカ・モドリッチといったその時々の選手の名前がスペクタクルに置き換えられる。"非武装したカタルーニャの軍団"は、マドリーを征服することが大好きだ。一方でマドリーにとって何よりも屈辱的なことは、試合に負けることよりも、タイトルを失うことだ。

 マドリーは11日前にパリ・サンジェルマン相手に鮮やかな逆転勝利(3-1)を収めたばかりだった。しかしクラシコでは、試合内容だけではなく、取り巻く環境にも雲泥の差があった。サンティアゴ・ベルナベウは二重人格の持ち主だ。90分間のほとんどの時間帯においてまるで劇場の観客ように、静かにプレーを見守る。

「マドリーのファンは口をいっぱいにしているから叫ばない」と言い放ったのはフェレンツ・プスカシュ(1950年代後半から1960年代半ばにかけてマドリーで活躍した名選手)だった。マドリディスタは、あまりに多くのものを、そして良いものを見てきたため、すべてのものが物足りなく映るのだ。その状況に居心地の悪さを感じ、そして沈黙が無関心に変わることを恐れ、自己防衛のためにピッチを奔走し始める選手も少なくない。

 しかし、そんな静寂に包まれたスタジアムが、マドリーがビハインドを許すと、突然、スイッチが入ったかのように激変する。8万人の観客が群れとなって野蛮化し、逆転への機運が醸成する。選手たちの闘志に火がつき、相手チームは無力感にさいなまれたまま試合から消えるハメになる。サンティアゴ・ベルナベウが演出する逆転劇で、マドリーの伝統の強さを体現する十八番の一つだ。

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