「どれだけ人を助けているか」セルジオ越後、今は亡き松田直樹がスポーツ界に遺した功績を熱弁!

2022年03月20日 サッカーダイジェストWeb編集部

「最後の最後までスポーツに貢献してくれた」

越後氏が自身のYouTubeチャンネルを更新。松田氏がスポーツ界に遺した功績を称えた。 (C)SOCCER DIGEST

 日本サッカー界のご意見番・セルジオ越後氏がYouTubeチャンネル『蹴球越後屋』を更新。今は亡き松田直樹氏がスポーツ界に遺した功績を称えた。

 松田氏は1995年、前橋育英高から横浜マリノス(現、横浜F・マリノス)に加入し、プロキャリアをスタート。その後、2010年まで横浜一筋でプレーを続け、2011年からは当時JFLに所属していた松本山雅FCでプレー。しかし加入1年目の8月、練習中に急性心筋梗塞で倒れ、34歳という若さでこの世を去った。

 越後氏は、長年地域リーグに所属していた松本が2012年にJ2昇格を果たし、その後J1クラブとなるなど、躍進を続けたのは松田氏の存在が大きいと熱弁した。

「彼が松本を輝かせた。あの当時の監督を覚えていない。彼が監督兼選手をやっていたんじゃない?(笑)。松田が行かなかったら、松本はまだ地域リーグにいたんじゃないかな」
 
 また若くして亡くなったことについて、「まだまだできたんですけど、残念ながら亡くなって。本当に残念」としつつも、「ただ彼が亡くなったことをきっかけに全国のある設備が整った」と松田氏がスポーツ界に与えた影響を明かした。

 松田氏が心筋梗塞で亡くなったことを受け、その後日本サッカー協会はクラブハウスやスタジアム、グラウンドにAED設置を義務付けた。その動きはサッカー界だけでなく、あらゆるスポーツに波及している。

 このことについて越後氏は、「残念な形ですけど、最後の最後までスポーツに貢献してくれた。機械(AED)がどの種目でもどの施設にも置いてある。あれは松田のおかげ。自分は亡くなったけど、どれだけ人を助けているか」と敬意を表した。

 松田氏の死からAED普及の動きは現在もなお広がりを見せている。松田氏がスポーツ界にもたらした影響力の大きさは計り知れない。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

【関連動画】セルジオ越後が語る松田直樹が遺した日本スポーツ界への功績
 

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