鹿島で15年を過ごした遠藤康。貫き、芯を通して、大きくなったその背中で、仙台をJ1へ導いていくだろう

2022年02月19日 内田知宏

「うまくなるために」毎日練習に向かった

仙台で新たなキャリアを刻む遠藤。「これまでの経験を伝えていくことも自分の役割」と決意を固める。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 遠藤康は15年を過ごした鹿島を離れ、今季から仙台でプレーすることを選んだ。

 選手とクラブの橋渡しをする選手代理人の存在や、考え方の変化で移籍のハードルが低くなった時代。デビューから同一チームでプレーするバンディエラと呼ばれるような存在は、すでに絶滅危惧種と言っていいかもしれない。

 そんな時代背景にあって、遠藤は貫いた。「一番サッカーがうまくなれるチームは、ここ以外にない。練習だけでうまくなれるのだから移籍したいとも思わない」。本当に芯の強い選手だった。

 在籍15年で、シーズンを通してポジションを守り通した年はない。キャリアハイの10得点を挙げた2014年でも、夏場にはサブ組に転落している。常に競争にさらされた。相手は本山雅志、野沢拓也と屈指のMFに、ブラジルでキャリアを積んだ助っ人たちが続く。

 2列目はいつの時代も戦国時代だった。若い時に「もっとやらないと」と思うのは自然だが、中堅になっても同じ思いを持ち続けられるかは別の話。子だくさんに恵まれた遠藤は特に今後の人生を考えた選択をしてもおかしくなかったが、次から次に競争相手を送り込んでくるクラブを不満に感じるどころか、苦しい素振りすら見せずに「うまくなるために」毎日練習に向かった。

 168センチと小柄で、お世辞にもスピードがあるとは言えないが、相手を引き付け、味方のスペースと選択を生み出すドリブルは、同じタイプのダニーロが在籍していた期間を除けば、唯一無二の武器となった。

 そして、練習の緊張感を大事にしてきたクラブにとって、遠藤が流す汗が欠かせなかった。小澤英明、杉山哲、大岩剛、青木剛、小笠原満男、クォン・スンテ。出番が少なくなっても練習で貢献してきた選手たちの中に、遠藤も間違いなく加えられる。
 
 退団はクラブとの話し合いで決まった。

 タイトル奪還を目指すクラブからは、新監督に移行し、より機動力を生かしたサッカーを目指すという説明を受けた。遠藤の持ち味が発揮されにくい状況になる。そのうえで「まだ他クラブから声がかかる状態で進路を選んでほしい」と選択肢を与えられた。

 戦力だが、今後出場機会が減っていくことは明らか。そこで今後の人生を考慮し、選手に判断をゆだねる。名古屋に渡った秋田豊、京都に向かった柳沢敦も同じ形で去った。レジェンドたちと同じ提案をされ、遠藤もまた同じ決断を下した。
 

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