「スーパースターだった」闘莉王が“同い年”の阿部勇樹を絶賛!「何やらせたとしても大丈夫」指導者の道にも太鼓判!

2021年12月21日 サッカーダイジェストWeb編集部

「日本の宝、レッズの宝」と称賛を惜しまない

今季限りで引退する阿部(左)と同い年の闘莉王氏(右)。高校時代から憧れの存在だったと顔を綻ばせた。(C)SOCCER DIGEST

 12月19日に行なわれた天皇杯決勝で、大分トリニータを2-1で下し優勝カップを掲げた浦和レッズの阿部勇樹が、24年の現役生活に別れを告げた。

 阿部は、ジェフユナイテッド市原(現・千葉)で当時最年少記録となる16歳333日でJ1デビューを果たすと、2007年に浦和、そして2010年に当時イングランド2部のレスターへと移籍し、2012年からは再び浦和でプレー。さらに、アテネ五輪出場や、2010年の南アフリカ・ワールドカップの舞台にも立つなど日本代表としても活躍した。

 そんな阿部について、浦和や日本代表でも同僚だった同い年の田中マルクス闘莉王氏が19日、自身のYouTubeチャンネルで「スーパースターだった」と盟友を絶賛した。

 時には歯に衣着せぬストレートな物言いをする闘莉王氏だが、この日は終始穏やかな語り口で、阿部の引退については「良いことじゃない気がしますね。一緒に戦った人間としてはずっとプレーしていてほしいなと」語り出した。

 特に阿部に対しては、人一倍思うところがあったようだ。

 闘莉王氏が最初に衝撃を受けたのは、渋谷教育学園幕張高時代。千葉県選抜のチームメイト時だという。

「(阿部は、)高校時代からジェフ市原(現・千葉)ユースで、トップの試合に出るのも早かった。千葉県ではスーパースター。僕らがまだプロになれるかどうかずっと考え、努力していた日々に、阿部ちゃんはもうプロで活躍していた。それぐらいすごい選手」

 当時の千葉県選抜は、阿部、闘莉王のほか、同じく市原ユースの佐藤寿人、勇人兄弟などを擁する強豪チーム。16歳333日でトップチームにデビューを果たしていた阿部こそ出場が叶わなかったものの、1997、98年の国体で連覇を達成。「2年連続でぶっちぎりの強さ。後のJリーガーばかりで、ほかの県が相手にならないくらい強いチームだった」という。

 それでも、「結局、そのチームでも阿部ちゃんがスーパースターだった。国体も出させてもらえないくらい。当時からトップチームでJリーグを戦わないといけない。もうレベルが違い過ぎた」と振り返った。
 
 闘莉王のいた浦和に2007年に阿部が加入すると、その年のACLで現行の大会形式になって以降、Jリーグ勢として初優勝を達成した。

「当時のレッズはすごく強いチーム。鈴木啓太、小野伸二、長谷部誠らがいるなかでチーム内の争いもあって。レッズでレギュラーになれば日本代表に呼ばれるというくらいのチーム力。阿部ちゃん、長谷部、啓太のポジション争いは後ろから見ていても魅力だった」とし、ACL制覇についてはこう語る。

「タフさが求められる。気持ちを表に出して、競り合いや球際でタフさを見せないといけない。(阿部加入で)球際の強さで違いを出せるようなチームになった。気持でも、球際でも負けないチームだった」

 また、引退後は指導者を目指すという阿部については、「優しいところもあるし、厳しいことも言える。指導者向きだと思うし、何やらせたとしても大丈夫。もう日本の宝、レッズの宝」と称賛を惜しまない。

 12分近くの動画では、そのほかにも阿部とのピッチ内外でのエピソードや、日本代表時代の思い出も盛りだくさん。闘莉王氏は、来季3大会ぶりにアジアの舞台に立つ古巣浦和と、第二の人生を歩み始めた盟友阿部にブラジルからエールを送っている。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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