「大会は観られなかった。韓国に逃亡した」中村俊輔が衝撃の2002年W杯落選を回想!「選ばれない理由は分かっていた」

2021年12月19日 サッカーダイジェストWeb編集部

「トルシエが望んでいることをできていなかった」

日本中に衝撃を与えたメンバー落ちを、中村が振り返った。(C) Getty Images

 横浜FCが所属する中村俊輔が、元日本代表MF鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルに出演。物議を醸した2002年日韓ワールドカップのメンバー落ちを振り返った。

 高卒4年目の2000年にJ1リーグのMVPを獲得し、同年のアジアカップではベスト11に入るパフォーマンスで優勝に貢献するなど、代表でも存在感を高めていた中村は、自国開催の2002W杯での活躍が期待されていた。

 しかし、まさかのメンバー外。フィリップ・トルシエ監督の大胆な決断は、日本中に衝撃を与えた。

 落選したレフティのコメントを拾おうと多くの記者が駆け付けるなか、「後々、追われたりするより、ここでスパッとしたほうがいい。自分がコメントを出したほうが早く終わる」と思い、報道陣の前に姿を現わすと、あまりのフラッシュの多さに「顔が熱くなった」という。

 ただ、その時は、落胆よりも「やることはやった」という気持ちの方が大きかったようだ。

「あーやっと終わった。プレッシャーというか肩の荷物が落ちた感じ。やり切ったという感じだった。全く悔いはなかった。手応えもあったし、あとはもうトルシエが選ぶことだから」

【動画】メンバー発表直前のホンジュラス戦でCKを直接ゴールに叩き込む中村俊輔
 現在43歳のMFは、「選ばれない理由もだいたい分かっていた」と続けている。

「自分が足りないところを把握していた。トルシエが望んでいることをできていなかったのも分かっていた。全部整理できていた」

 鈴木氏から「トルシエが俊さんに求めていたことは何だったんですか?」と尋ねられると、「フィジカル的なところ。2010年の(南アフリカW杯の)時もそうだけど、日本は強い相手と戦うときに戦える選手を選ぶ。そこの部分だったと思う。やっぱり足りていなかった」と回想した中村は、さらにこう述べている。

「ベンチに置いたときに、(気持ちが)前面に出るタイプじゃない。短期決戦になると、ベンチが盛り上げることで全然違う。それを理解してた分、2010年の時は(盛り上げるように)やったよ」

 もちろん、落選に悔しさもあったようだ。「(W杯を)観れました?」との問いには、「観れなかった。観れないから、韓国に逃亡した」と回答。「ジダンが観たくて、ずっとフランス代表を追っていた」という。

「ジダンが怪我をしていて、フランス代表はひどかった。ジダンがいないからなのか、気持ちが全然入ってなくて。3戦目にジダンが出てきても全然だった。それはそれでいいもの観たなと。雰囲気作りから入ったりとか、すごく大事なんだなって。ワールドカップって特別なものだし」

 中村はこの落選から約2か月後に、セリエAのレッジーナへ移籍。様々な思いを胸に、新たな一歩を踏み出したのだった。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

【動画】マンチェスター・ユナイテッドを沈める!中村俊輔が決めた伝説のFK弾をチェック!

【PHOTO】「美人すぎる」、「セクシーすぎる」フットボーラーの妻&恋人たち

次ページ【動画】メンバー発表直前のホンジュラス戦でCKを直接ゴールに叩き込む中村俊輔(1分38秒~)

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事