【大分】成績不振で田坂監督を解任。決意の5年目に訪れた崩壊の理由とは?

2015年06月04日 柚野真也

昨季以上の戦力を手に入れた手応えはあったものの、組織の熟成を深められず。

解任が発表された大分の田坂監督。期待された戦力を持ちながら、組織の熟成を深めきれなかった。(C) J.LEAGUE PHOTOS

 大分は6月1日、田坂和昭監督の解任を発表した。リーグ16節を終えて2勝5分9敗の勝点11、最下位に沈んでおり、「このままズルズルいくわけにはいかない。新しい風を吹き込むことによって、もう一度トリニータを浮上させたい」と、同日に行なわれた会見で青野浩志社長はその理由を語った。
 
 田坂監督が大分を率いて5年目。昨季以上のチーム編成で開幕を迎えた手応えがあっただけになおさら、田坂監督の下で上手く軌道に乗れなかった無念は強い。
 
 今オフには、田坂監督が清水のコーチ時代から信頼を寄せていたゲームメーカー兵働昭弘を完全移籍で獲得し、2012年シーズンに12得点を決めたFW三平和司を復帰させるなど、得点力アップを目指した強化策で前線の戦力値を高めた。
 
 しかしシーズンが始まると、たちまちチームは暗礁に乗り上げる。昨年のチームの核となった末吉(福岡)、林(FC東京)らが抜けた穴は大きく、「新しい選手を戦術にフィットさせるのが難しかったし、組み合わせも苦労した」と田坂監督が振り返ったように、毎試合異なる先発メンバーをピッチに送り出し、組織の熟成を深めることができなかった。開幕から複数得点を記録したのは5節の岐阜戦だけで、得点力不足は解消できなかった。
 
 また、2年連続でキャプテンであり、ピッチの精神的支柱であった宮沢、高木(ともに岐阜)を放出したことで、チームにまとまりが欠けていたのも事実だ。田坂監督は言葉使いや選手へのアプローチを変え、メッセージを発していたが、田坂監督の発する刺激的な言葉に慣れた選手を、奮い立たせることは難しかったのかもしれない。

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