「日本で初めて経験したのが…」名将ヴェンゲルが明かした名古屋時代の“苦悩”とは?

2021年03月17日 サッカーダイジェストWeb編集部

ペナルティのワッキーさんからの質問に返答

約1年半の指揮で名古屋を強豪クラブへと変貌させたヴェンゲル監督。(C)Getty Images

 3月16日、元アーセナル監督で、名古屋グランパスなどでも指揮を執ったアーセン・ヴェンゲル氏が、『アーセン・ヴェンゲル自伝 赤と白、わが人生』の日本語版が同日に発売されたのを記念し、オンライン会見を行なった。

 同書は、ヴェンゲル氏による初の自伝で、2020年9月に母国フランスで刊行され、ベストセラーとなった。現在までに、日本を含めて世界15か国で翻訳が決定している。

 フランス・アルザス地方の小さな村で生まれ育った幼少期、県リーグの3部チームからフランス1部リーグに上り詰めた現役時代、そして、名古屋を経て渡ったアーセナルで無敗優勝を成し遂げるなど輝かしい実績を残し、22年間に渡る長期政権を築いた監督時代。努力を重ねて、成功をつかみとった生涯が、貴重な写真とともにまとめられた一冊となっている。

 その会見にゲスト出演した、名門・市立船橋高サッカー部出身のお笑いコンビ・ペナルティのワッキーさんから、「名古屋の監督時代に大変だったことや印象に残っていることはありますか」と質問を受けると、ヴェンゲル氏は次のように答えた。

「就任した時、名古屋はとんでもない連敗記録を更新しつつあったので、選手たちは自信を失っていた。それでも、『負の連鎖は続かない』と説得力をもって伝えるのが難しかった」

【動画】ヴェンゲル監督の下、95年にJリーグMVPに輝いたストイコビッチの超絶プレー集
 初めてフランス以外のクラブを率いたこともあり、言葉の壁にも苦悩したようだ。

「大きなチャレンジをするために、どんなメッセージを送ったらいいのか。通訳を介してチームに指示を与えるのが初めてだったので難しかった。ただ、いま振り返ると(日本人に比べて)われわれ外国人の監督はコミュニケーションの取り方が激しくなってしまう。時には乱暴な言い方になってしまうが、通訳が和らげてくれるので、それは良い点かもしれないね」

 ヴェンゲル就任1年目の1995年シーズン、前年の第2ステージで最下位だった名古屋は開幕8試合でわずか1勝と躓いた。だが、中断期間のパリ合宿を機にチームのスタイルが固まり、そこから破竹の快進撃。第1ステージは最終的に4位まで浮上すると、第2ステージは優勝争いに加わり、2位でフィニッシュする。そして、天皇杯で見事に戴冠を果たし、クラブ初タイトルを獲得したのだった。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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