「従えない奴は帰れ」ストイコビッチがセルビア代表戦士に厳しい要求! 名古屋時代の戦友からはエール&“喧嘩エピソード”も…

2021年02月24日 サッカーダイジェストWeb編集部

名古屋を2008年から6年間指揮

祖国セルビアの代監督に就任したストイコビッチ。(C)SOCCER DIGEST

 名古屋グランパスで7年間プレーし、監督としては同クラブを初のリーグ優勝に導いたドラガン・ストイコビッチが、祖国セルビア代表の監督に就任することが明らかになった。就任期間はEURO2024年の予選終了時までという。

 現役時代はラドニツキ・ニシュ、レッドスター、マルセイユ、ヴェローナ、名古屋でファンタジー溢れるプレーを披露し、ユーゴスラビア代表としてはワールドカップに2度(1990年、98年)、EUROに2度(84年、2000年)出場。監督としては、名古屋を2008年から6年間指揮し、15年からは中国の広州富力を率い、昨年退任していた。

 01年の現役引退後、いきなりユーゴスラビア・サッカー協会の会長に就任し、その4年後には古巣レッドスターの会長となった「ピクシー」。通常とは逆の順序を辿りながら、今回、母国の代表監督という要職を担うことになった。

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 かつてチームカラーから「プラービ(青)」と呼ばれ、現在は「オルロビ(鷲)」を愛称とする赤いユニホームの代表チームを率いることになったレジェンドは、まだ正式発表ではないとしながらも、新たな任務に対する抱負を力強く語っている(『ZURNAL』より)。

「祖国の紋章、国歌、旗を守ることには、大きな名誉と特権を感じる。生まれ変わった気持ちで、愛国心を持ってこの仕事に取り組みたい。そして、成功したいという気持ちも強い。セルビアを誇りに思えるような何かを、このチームで成し遂げたい」

 3年前にも監督就任のオファーを受けたというピクシーは、「私には独自のビジョンがあり、国民にはそれに耳を傾けてほしい。最も重要なことは、我々を信頼し、忍耐強く待つことだ。私は愛国者として、専門家として仕事を果たす。それは疑いのないことだ」と語り、代表チームと一緒に戦うことを国民に呼びかけた。

 また、選手には「国のために戦ってほしい。これは、お金の問題ではない」と訴え、「最善を尽くしてほしい。私のチームでは、ルールに従って全ての力を注ぐか、荷物をまとめて帰るかのどちらかだ」と厳しい面も見せた。
 

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