「カガワと居残りで…」名将ファーガソンも認めた元逸材FWがマンU時代を回想!「失敗は約束されていた」

2021年02月12日 サッカーダイジェストWeb編集部

ギグスから浴びせられた言葉とは?

香川(左)と居残り練習をしていたというザハ(右)が、鳴かず飛ばずだったユナイテッド時代を振り返った。 (C) Getty Images

 幾多の名プレーヤーたちが歴史を彩ってきたマンチェスター・ユナイテッド。一方で、ファンやチームの期待に応えきれずに居場所を追われた選手も少なくない。2013年の冬にクリスタル・パレスから鳴り物入りで入団したウィルフリード・ザハもその一人だ

 下部組織時代から所属していたクリスタル・パレスで声価を高め、複数のメガクラブの垂涎の的となっていた当時19歳のザハは、名将アレックス・ファーガソンの勧誘を受けてマンチェスター・Uへ移籍(最初の半年はそのままクリスタル・パレスにレンタル)。だが、本格的に合流する13年夏を前に、他でもないそのファーガソンが勇退してしまう。

 後任のデイビッド・モイーズ下で満足のいく機会を得られなかったザハは、2年目にカーディフにレンタルされると、復帰後もルイス・ファン・ハール政権下で出番を与えられないまま、クラブを追われた。

 レッドデビルズ(マンチェスター・Uの愛称)での日々に本人は何を想うのか。現地時間2月11日に配信されたポッドキャスト番組『On the Judy』の中で、「正しい場所を見誤っていた。振り返ればできることはあまりなかったと思う」と赤裸々に告白している。

「ファーガソンがいなくなったことにはムカついた。それでモイーズは、なぜかクリスタル・パレスではなくカーディフに僕を貸し出した。ただ、そこでの僕は誰とも親しくせずに、本当の自分とはかけ離れていたね。そしてチームが降格して、ユナイテッドに戻った。そしたら監督がファン・ハールになっていて、僕には2つの選択肢が与えられた。ウイングバックでプレーするか、ストライカーをやるか、だ。

 もちろん両方ともプレーしたことがなかったから、失敗が約束されていたようなものだった。その状況でプレシーズンにインテルやレアルと対戦して、ヴィディッチやペペ、セルヒオ・ラモスと最前線で戦ったんだ。とんでもない相手の中に投げ込まれたようだった。狂っていたよ」
 
 当時のマンチェスター・U首脳陣への不満をこぼしたザハは、ファン・ハールの参謀役を務めていたライアン・ギグス(現ウェールズ代表監督)からの言葉も明かしている。

「ある時の練習で、クラブは僕に残留させるべきかどうかのトライアルみたいなものを課した。ルーニーは『お前はよくやっている』と言ってくれたけど、ギグスからは『君が十分にいいとは思わない。退団を勧める』とハッキリした感じだった。それ自体は悪いことじゃなかった。プレシーズンだったし、むしろホッとしたよ。キャリアを再開できるようにしてくれたからね」

 ザハの恨み節は止まらない。「そうなったのは、自分のせいでもある」と語った韋駄天は、こう続けた。

「あの時は、本当に悪い場所にいつも外出して、狂ったことをしていた。十分にいい食事もとっていなかった。めちゃくちゃだったんだ。でも、知っての通り、クラブからは基本的に気にかけられていなかった。シンジ・カガワと居残って二人だけでシュート練習をしたときのことも覚えているよ。最後の方は、リザーブで練習することすらも許されなかった」

 クリスタル・パレスに復帰して6年目を迎えた今シーズン、プレミアリーグで19試合9ゴールと結果を出しているザハ。28歳となった快足アタッカーにとってマンチェスターでの失敗は、ポジティブに作用していると言えそうだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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