元日本代表MF野沢拓也が現役引退を発表!「鹿島は親以上の存在、神戸には申し訳なかった」

2020年12月30日 サッカーダイジェストWeb編集部

鹿島時代は小笠原や本山らと中盤を形成

鹿島などで活躍した野沢がユニホームを脱ぐことを発表した。写真:田中研治

 来季からJFLに昇格するFC TIAMO枚方は12月30日、MF野沢拓也の今季限りでの現役引退を発表した。

 日本代表経験もある野沢は、茨城県出身の39歳。1999年に、鹿島アントラーズのユース在籍時に二種登録でトップチームデビュー。翌年鹿島に正式加入すると、長らく主力として活躍し、小笠原満男や本山雅志らと中盤を形成し、黄金時代を築き上げた。2019年にウーロンゴン・ウルブス(オーストラリア)から加わった関西サッカーリーグ1部の枚方では、2年間で21試合・16得点を記録していた。

 本人はクラブを通じて以下のようにコメントしている。

「2020年限りで引退することに決めました。近年は、いつかは訪れる『引退』について考え始めていたようで、全く考えていなかったような…でも、ずっと考えていたような、そんな毎日でした。だから、自分でも何が決め手になったのか、うまく説明できません。

 体力的なこととか、気持ちの部分で頑張れなくなったとか、そういった理由もどこかピンとこない気がします。でも、自分の心がここで終わりだと言っているので素直にそれを受け入れようと思います」
 
「ジュニアユース時代からお世話になった鹿島アントラーズ。野沢拓也を育ててくれた、親以上の存在でした。僕はアントラーズのおかげでプロサッカー選手となり、仲間と共に『タイトル』を目指して戦う面白さ、タイトルを手にする喜びを知りました。あの中盤でサッカーができたのは僕の宝物です。自分の中にアントラーズのDNAが流れていることを誇りに思います。

 初めての移籍を経験したヴィッセル神戸。自分の力を発揮できなくて、チームを助けられなくて申し訳なかったという気持ちは今も持っています。僕は神戸の街も、サポーターも、大好きでした。

 3年半、プレーさせてもらったベガルタ仙台。東日本大震災という大きな悲しみから立ち上がろうとする街、人たちに温かく迎え入れてもらい、自分にできることはサッカーしかない、サッカーで力になるしかないと改めて胸に誓って戦った時間でした。

 ウーロンゴン・ウルブス。ブラジル留学をした時以来の『海外』でしたが、Jリーグとはまた違う景色をたくさん見て、感じられて、言葉に変え難い経験をできたことは人生の財産になりました。

 FC TIAMO枚方。僕にとっては初めての社会人チームでしたが、純粋にサッカーを楽しめた2年間でした。仕事をしながらサッカーをする仲間の姿にたくさんの刺激をもらい、自分自身も改めてサッカーの魅力にとりつかれたような感覚にもなりながら中身の濃い時間を過ごすことができました。

 そして、サポーターの皆さん!ともに戦い、喜び、泣いて、時には厳しい言葉をかけてもらってボールを蹴ることができ、幸せでした。いろんなチームで掲げてもらったゲーフラも、チャントも本当に嬉しかった。ありがとう!

 最後になりましたが、こんなにも長く、大好きなサッカーを続けられたのは、僕のサッカー人生に寄り添い支えてくれた家族や仲間、在籍したクラブでお世話になった皆さん、共に戦った選手、スタッフのおかげです。この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。サッカー、楽しかったです!ありがとうございました」

 緊迫したシーズン終盤にめっぽう強いことから、"ミスター・クライマックス"の異名も持つ男が、チームのJFL昇格を置き土産に、プロ生活21年でユニホームを脱いだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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