名古屋からのアーセナル電撃就任は「どうかしていた」。ヴェンゲルが仰天人事を回想!「完全に無名の男を…」

2020年11月23日 サッカーダイジェストWeb編集部

アーセナルからオファーが舞い込んだ時の心境は…

名古屋で辣腕を振るっていたヴェンゲルは日本にとどまることを決意していたとも語る。 (C) Getty Images

 1996年10月、アーセナルのアーセン・ヴェンゲル招聘は、まさに仰天の引き抜きだった。

 1981年にストラスブールのユースチームで監督キャリアをスタートさせたヴェンゲルは、ナンシーとモナコの監督を歴任した後に、1995年からは名古屋グランパスの指揮官に就任。1年目で年間総合順位3位(2ステージ制)に導き、最優秀監督賞を手にすると、天皇杯も制してクラブに初タイトルをもたらした。

 翌シーズン(1ステージ制)にもリーグ戦で2位フィニッシュと見事な手腕を発揮し、日本サッカー界で確かな功績を残したヴェンゲル。そんな東洋の島国で声価を高めたフランス人監督に声をかけたのが、アーセナルだった。
 
 しかし、当時は現代のようにインターネットが発展していない時代で、いまほど簡単に情報を入手できるわけではなかった。それゆえにアーセナルからの引き抜きに「驚いた」と語るのは、他でもないヴェンゲルである。現地時間11月22日に英公共放送『BBC』のラジオ番組「Desert Island Discs」に出演した際に、アーセナルからオファーが舞い込んだ時の心境を、こう回想した。

「アーセナルはイングランドでも最も伝統のあるクラブの一つだった。あのフットボールの母国でね。そんなチームが私のような男を任命するのに躍起になっているというんだ。完全に無名の男を連れてくるのはどうかしていたと思うね(笑)。しかし、私にはそこから恩恵を得るという利点があった」

 以前に英紙『The Guardian』のインタビューで、「日本での経験は良かった。自分への厳しさが増し、自分への要求が高くなるからね。もしも、大きな仕事でなければ、私はヨーロッパには戻らないとほぼ決心していた」と告白していたヴェンゲル。それだけにあの時にアーセナルから熱心な勧誘がなければ、71歳の名伯楽は全く違ったキャリアを歩んでいたかもしれない。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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