得点王とMVPを3度ずつ獲得
イブラヒモビッチ(左上)、カバーニ(右上)、、パウレタ(右下)らとともに、現所属選手で唯一エムバペ(左下)がランクインした。(C) Getty Images
【現地記者選定のパリSG最強ストライカー番付TOP10(1990年以降)】
1位:ズラタン・イブラヒモビッチ(元スウェーデン代表)
2位:エディンソン・カバーニ(ウルグアイ代表)
3位:キリアン・エムバペ(フランス代表)
4位:ペドロ・パウレタ(元ポルトガル代表)
5位:ジョージ・ウェア(元リベリア代表)
6位:マルコ・シモーネ(元イタリア代表)
7位:デリー・バルデス(元パナマ代表)
8位:ケビン・ガメイロ(フランス代表)
9位:ズラトコ・ヴヨビッチ(元ユーゴスラビア代表)
10位:ギヨーム・オアロ(元フランス代表)
パリSGの今を作ったのがイブラヒモビッチだ。カタール資本によるプロジェクトを軌道に乗せ、世界的なトップクラブへと押し上げたのは、強烈なパーソナリティーでチームにアイデンティティーと確信を与え、勝利をもたらしたイブラヒモビッチであることは論を俟たない。
在籍4年間でリーグ・アン得点王を3度、リーグMVPを同じく3度獲得し、そして4年連続でリーグ制覇をもたらした。通算156得点のクラブレコードを打ち立て、退団に際して本人がツイートした名言のように、レジェンドとして去って行った。
このイブラのゴール記録を塗り替えたのがカバーニだ。今夏に退団するまで7年間で200ゴールをマークし、6度のリーグ優勝、4度のフランス・カップ優勝、5度のリーグカップ優勝と、イブラが築いた基盤の上にさらなる成功を積み上げた。
ただ、カバーニの記録や実績も早晩、書き換えられることになるだろう。そう、エムバペによってだ。フランスの至宝は3年間ですでに97ゴールを挙げ、3度のリーグ優勝を果たしている。もっとも、この先いつまでパリに留まっているかは分からないが。
パウレタは、カタール資本になる前の00年代にエースストライカーとして君臨した。抜け目のない点取り屋は、2度の得点王に輝き、そのゴールで本拠地パルク・デ・プランスを沸かせた。
08年に退団したパウレタと入れ替わりに加入したオアロは、圧倒的なフィジカルを武器に公式戦20ゴールを挙げた1年目の爆発が印象的。ガメイロは対照的に敏捷性に優れた小兵で、鋭い嗅覚と決意に満ちた全力プレーでチームの力になった。
時代を遡って、90年代といえばウェアだ。モナコで頭角を現わしたリベリアの怪人は、パリで飛躍を遂げ、世界的なスーパースターへと羽ばたく地歩を築いた。
その名声を決定的にしたのが、10試合で7ゴールを奪って4強進出の立役者となった94-95シーズンのCLでの大活躍だ。この翌シーズンにミランへのステップアップを果たし、95年度のバロンドールに輝いたのは周知のとおりだ。
ウェアによってミランを押し出される形でパリにやって来たシモーネは、加入初年度に国内カップ2冠の原動力に。この両コンペティションで計7試合・5ゴール、さらに予選を含むCLで6試合・4ゴールと、カップ戦での勝負強さがとりわけ際立った。
ウェア退団からシモーネ加入までの2年間、前線を支えたデリー・バルデスは、ライーやジョルカエフらとともにクラブにとって唯一の欧州タイトル、96年のカップウィナーズ・カップ(UEFAカップと統合した現ヨーロッパリーグ)制覇に寄与した。
さらに遡って90年代初頭のヴヨビッチは、旧ユーゴスラビア代表での活躍も記憶に残る。オシム監督の下、キャプテンとして個性派集団をまとめ、90年のイタリア・ワールドカップでベスト8進出に貢献した。パリSGでは2年間で65試合・21ゴールの記録を残した。
文●ジェームズ・イーストハム(フリーランス)
翻訳●松野敏史
※『ワールドサッカーダイジェスト』2020年11月5日号から転載