「トゥヘルとは一言も話さなかった」名古屋の守護神ランゲラック、ドルトムント時代&Jリーグを語る!「日本のサッカーはカガワ15人分の…」

2020年10月03日 サッカーダイジェストWeb編集部

恩師クロップは「指針をくれた」

2012年にDFBポカールを制した際のメンバーだったランゲニック(右から3人目)と香川(右端)。 (C)Getty Images

 Jリーグの名古屋グランパスで活躍中のオーストラリア代表GKミチェル・ランゲラック。今年6月には新型コロナウイルスの陽性反応が判明し、1週間ほど入院する事態となったが、今季も安定したセーブで君臨している。

 そんな守護神が、ドイツ・メディア『SPOX Redaktion』の取材に応じ、2010年から15年まで在籍したドルトムント時代を振り返った。さらに、Jリーグの印象なども明かしている。

 32歳のベテランGKはまず、「クロップに会ったときのことを鮮明に覚えている」と語た。

「加入した時はブンデスリーガのことを余り知らず、彼のことも良く分かってなかった。けれど、エージェントは彼がドイツで次の世代を背負うコーチになるだろうと、しかも誰もが彼を愛しているという。実際に会うと、その理由が良く分かった。『プレーが悪かろうがミスをしようが関係ない。日々努力してトレーニングしていれば何も問題ないんだ』と言われた。今でも忘れられないよ。異国の地で過ごす最初の指針をくれた人物だ」

 当時、ランゲラックはローマン・ヴァイデンフェラーに次ぐ二番手ながら、頼れるバックアッパーとして黄金期を支えた。しかし、2015年にクロップが退任し、新たにトーマス・トゥヘルが就任したタイミングで、クラブを離れた。

 驚くべきことに、ランゲラックはトゥヘルと一言も会話を交わさなかったという。

「新監督が就任して、新しいGK(ロマン・ビュルキ)と契約を結んだ。それを聞いて、ここでプレーし続けることは難しいとエージェントに伝えたんだ。すべて休み中に手続きを行なったので、トゥヘルとは喋ってないし、ビュルキにも会っていない。ミヒャエル・ツォルクSDに話して、彼は悲しんでくれ、そして理解してくれた」 

 その後はシュツットガルト、スペインのレバンテを経て、「素晴らしいオファーをくれた」名古屋への移籍を決断する。

「僕にとって、サッカー面でも生活面でも完璧な、良い決断だった。日本はオーストラリアにも近いしね。サッカーも素晴らしい。ヨーロッパのサッカーはフィジカルの強さが重視されるけれど、日本のサッカーは技術とスピード、ショートパスに重点が置かれている。

 皆が良く知っているシンジ・カガワで例えるなら、ピッチ上ではカガワ15人分のテクニックを武器に敵に立ち向かうような感じだ。ドイツのサポーターがJリーグを観戦したらとても驚くと思う。実際、日本のリーグを観ているスカウトはたくさんるし、対戦するとヨーロッパの選手より優れている、と感じることもある。今後も欧州に行く日本人プレーヤーは、増えると思うよ」

 そして、2021年1月に終了する名古屋との契約については、このように述べた。

「今のところ何も決まっていないけれど、ここで続けられたらいいなと思っている。どうなるかはこれからだ。皆と同じように、指をくわえて待つよ」

 親日家の守護神は、日本でのプレー継続を望んでいるようだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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