「タカを覚えていますか?」アルゼンチン紙が19年前にボカ電撃入団を決めた高原直泰を特集!「異例だった」

2020年09月25日 サッカーダイジェストWeb編集部

日韓W杯前にやってきたサムライ戦士

ワールドカップホスト国だった日本代表のエース候補とボカの契約は、当時、世界的な話題となった。 (C) REUTERS/AFLO

 南米サッカー界屈指の名門へ鳴り物入りで入団したサムライ戦士の存在は、今も消えてはいない。今から19年前にジュビロ磐田からボカ・ジュニオルスに移籍した高原直泰のことである。

 日韓ワールドカップを翌年に控えた2001年8月、高原はアジア圏におけるクラブのブランド力を高めようという当時のボカ会長だったマウリシオ・マクリ氏の熱心なオファーもあって、アルゼンチンへ渡った。

 ボカのトップチーム史上初となる日本人選手のパフォーマンスには大きな注目が集まったが、カルロス・ビアンチ監督ら首脳陣の信頼を勝ち取れず……。結局、アルゼンチン経済を襲った不景気の煽りを受けたこともあり、高原は公式戦6試合で1ゴールと結果を残せないまま、わずか半年で契約解除の憂き目に遭った。

 だが、歴史的な契約を結んだサムライ戦士の存在は今もなお語り継がれている。現地時間9月23日、高原がアルゼンチンで唯一のゴールを決めたこの日、全国紙『Ole』は、「ボカでのゴールから19年」と銘打った記事を掲載。当時の様子を次のように回想した。

「タカを覚えていますか? それはアルゼンチン・サッカー界で起きた異例の出来事だった。確かにボカにはあらゆる国籍の選手たちがいたが、それまでアジア人選手が在籍したことがなかった。ゆえにマクリがマーケティングの一環で日本から連れてきたナオヒロ・タカハラは驚きを与えた」

 さらにボカ退団後のキャリアについても紹介した『Ole』は、元日本代表FWが、現在、九州サッカーリーグに属する沖縄SVのオーナー兼プレーヤーを務めていることもレポート。同クラブのユニホームカラーがボカと同じ青と黄色になっていることについて、「彼の心にはいまだボカの魂がある」と綴った。

 目立った結果は残せなかったが、19年という時が経っても、電撃的な入団を果たした高原の存在は、アルゼンチン人の脳裏に焼き付いている。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部
 

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