【J新指揮官の肖像】岡山・長澤徹監督|泥臭く、頂上に旗を刺すことを目指して

2015年03月02日

「挑戦した後には必ず大きな報酬がある」。

『成長』をキーワードに、選手個々の特長を見極め、その可能性を信じて、伸ばしていくのが長澤監督の指導スタイルだ。写真:佐藤明(サッカーダイジェスト写真部)

「灰頭土面、全身全霊で指導していきたい」
 
 昨年12月に行なわれた監督就任会見で、長澤徹は力強く語った。『灰頭土面(かいとうどめん)』とは禅の言葉で、泥だらけになっても、埃だらけになっても、前へ進んでいくという意味を持つ。
 
 選手たちからは「テツさん」と親しまれ、目尻に皺の寄る温和な笑顔を浮かべる。人柄の良さが様々なところから滲み出てくるが、グラウンドの上では熱い。「自分のありのままの姿で、泥だけになっても、なにをしてでも、チームを率いて前へ進んでいく。燃える闘魂でありたい」。そう決意して今季、監督に就任した。
 
 決して輝かしいとは言えない現役生活を終え、17年にも及ぶ指導者のキャリアを積んできた。愛媛県松山市で生まれ育ち、高校はサッカー王国・静岡へ挑戦。清水東高で武田修宏のひとつ後輩としてプレーし、さらに進学した筑波大では中山雅史や井原正巳らのひとつ後輩となった。当時の日本サッカーシーンのど真ん中を歩いてきた男は、「錚々たるメンバーがいるなかでサッカーを学ぶことができました」と振り返る。
 
 そして、91年にヤマハ発動機(現・磐田)に入団して、93年にはJリーグ昇格に貢献するも、Jでの出場は7試合のみ。95年からは本田技研でプレーし、97年に現役引退を決断して指導者の道を歩き始める。2000年からはFC東京に籍を移して、トップチームのコーチやU-15深川の監督を歴任し、12年に"古巣"の磐田へ復帰。S級ライセンスをともに受講した森下仁志の下でヘッドコーチを務め、13年に森下が解任されると、4試合ほど暫定監督としてチームを指揮。14年には岡山のコーチへ就任し、そして今季から監督を任されることになった。
 
 46歳で初めてJクラブの監督に就任するにあたり、これまでの自身のキャリアを次のように振り返る。「挑戦した後には必ず大きな報酬が待っている。なんとなくですけど、そういった感覚があるんです。自分のサッカー人生は挑戦です。挑戦からなにかが得られることを自分の人生の中で体得していますので、今回も監督としてしっかりと挑戦していきたい」。
 
 指導者としての蓄積は国内でも名が通っている。「思ったことをその時にしっかりと伝えることはずっとやってきた。それが今まで貫いてきたことであり、自分の特長だと思っている」。FC東京時代も、磐田時代も、選手一人ひとりと真っ直ぐ向き合い、真摯に指導してきた。

次ページ就任会見では周囲のド肝を抜く。

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