クラブ史上5人目のオランダ人監督を招聘したバルサ。偉大な4人の“先達”を公式サイトが紹介!

2020年08月21日 サッカーダイジェストWeb編集部

クライフとバルサの組み合わせは「成功」と同義語だ

(左から)ミケルス、クライフ、クーマン、ファン・ハール、ライカールト。(C) Getty Images

 現地時間8月18日、キケ・セティエン前監督の後任に、クラブOBで元オランダ代表のロナルド・クーマンを迎えたバルセロナ。クラブ史上5人目のオランダ人監督が誕生することになった。これを受けて、バルサの公式HPでは、これまで指揮を執った4人のオランダ人指揮官を紹介している。

1.リヌス・ミケルス(1971~75/1976~78)
 
 最初の指揮官は、リヌス・ミケルス。アヤックスで成功を収めやって来た彼のチームは、すぐに魅力的なサッカーを展開するようになったものの、なかなか優勝には至らなかった。それでも、後に監督としても一時代を築くこととなるヨハン・クライフの加入が、ミケルスのアイデアを埋めるための最後のピースとなる。そして1973-74シーズン、ついに14年ぶりのリーグ制覇を手にしたのだった。

 その後は1度クラブを離れるも、オランダ代表監督を経て再びバルサの監督となり、 1977-78 シーズンにはコパ・デル・レイのタイトルをチームにもたらした。

2.ヨハン・クライフ(1988~96)

 続いてが、ミケルスの下でもプレーし、長期政権を築いたクライフ。クライフとバルサの組み合わせは「成功」と同義語だ。選手としても優秀だったが、監督としてより大きな影響を与えたと言えるかもしれない。リーグ優勝4回、スペイン・スーパーカップ3回、チャンピオンズ・リーグ(CL)、コパ・デル・レイ、欧州スーパーカップ、カップ・ウィナーズカップを各1回と、数々のタイトルを在任中にもたらした。

 彼の率いたチームは、ドリームチームと名付けられ、ジョゼップ・グアルディオラ、フリスト・ストイチコフ、エウセビオ・サクリスタン、そして2020年に指揮を執ることとなるクーマンなどから成るチームで、後に語り草となるサッカーを生み出したのだった。また、彼は華麗なボール扱いをユースチームにも徹底的に落とし込んだ。そのユースシステム、ラ・マシアがその後の成功を収めたことは言うまでもない。
 
3.ルイス・ファン・ハール(1997~2000/2002-03 ※途中退任)

 オランダ路線による栄光は、ファン・ハールと共に継続する。就任最初のシーズンにリーガとコパ・デル・レイ杯を制覇。国内2冠は39年ぶりのことであり、それに欧州スーパーカップが付け加えられた。2年目には再びリーグ優勝を達成。しかし3年目は結果が伴わず、リーグ戦で2位、CLとコパ・デル・レイでは、セミファイナリストに終わった。 

 そこで最初の章は幕を閉じたが、これには第二章が待ち受けていた。ただ、第二章はそれほど長くは続かず、 2002-03シーズンに19節まで率いたところでリーガでの状況から途中退任となった。それでも、このオランダ人監督は、バルサに大きな足跡を残すことになった。彼こそがトップチームでビクトル・バルデス、カルレス・プジョル、シャビ・エルナンデスをデビューさせた監督だったからだ。

4.フランク・ライカールト(2003~08)

 次にオランダ路線を継いだのは、フランク・ライカールト。オランダ的哲学を持ち、攻撃的サッカーを仕掛け、プレスにこだわった彼のサッカーは、ロナウジーニョといったカリスマある選手の呼応もあり、再びバルサにポジティブな空気を呼び戻す。そして就任2年目に当時5年間も無冠だったチームにリーグ優勝をもたらし、その翌年には史上2度目のCL制覇を含む3冠を達成した。 

 だが、この栄光は長くは続かず、最後の2年間はつまずく。ラスト2シーズンのうち、獲得したタイトルは2006-07シーズンのスペイン・スーパーカップ1つに留まった。

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 偉大な4人の跡を継ぎ、5人目のオランダ人監督となったクーマンは新たな歴史を作ることができるのか――。どんなスタイルを導入するのかも注目が集まる。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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