「シャルケで最も人気があった」内田篤人の現役引退をドイツ・メディアも惜しむ! 「32歳でキャリアを…」

2020年08月21日 サッカーダイジェストWeb編集部

ノイアーやラウールと共に活躍

シャルケの退団セレモニーでは、本拠地で盛大に見送られた内田。その存在はドイツでもいまだに忘れられてはいない。 (C) Getty Images

 8月20日、元日本代表DFの内田篤人がキャリアに終止符を打つ決断を下した。

 2006年に鹿島アントラーズでプロ生活をスタートさせた内田は、1年目から主力として活躍。07~09年のJリーグ3連覇を置き土産にドイツの強豪シャルケへ移籍し、日本屈指の右SBへと成長していった。

 2015年に痛めていた右膝の手術を受けてからは、満身創痍の状態でプレーを続けてきたが、32歳で引退を決めた。そんな内田の14年に及んだキャリアを語るうえで欠かすことができないのが、やはりシャルケでの7年間だ。

 1年目から右SBのレギュラーに定着し、ジェフェルソン・ファルファン(現ロコモティフ・モスクワ)やラウール・ゴンザレス、マヌエル・ノイアー(現バイエルン)といった名手たちと共にチームを支え、2011-12シーズンにはクラブ史上初となるチャンピオンズ・リーグ4強入りを経験した。

 熱狂的で知られる"シャルカー(シャルケ・ファン)"からも「ウッシー」の愛称で親しまれ、ウニオン・ベルリンに移籍する際には、クラブがファンの声に応える形で、退団セレモニーが行なわれたほどだった。
 
 それだけにこのサムライ戦士の引退のニュースは、ドイツ・メディアでも話題を呼んでいる。サッカー専門誌『Kicker』は、「32歳で引退。元シャルケのウチダがキャリアを終える」と銘打った速報記事で、次のように綴った。

「2010年に日本からやってきたウチダはあっという間に多くのファンのお気に入りとなり、2011年にはDFBカップ優勝に貢献。2017年にウニオン・ベルリンに移籍するまでロイヤルブルーズに忠実だった」

 また、地元紙『Westfalen Post』も内田の引退に関して、次のようにレポートした。

「アツト・ウチダはシャルケでも最も人気のある選手の一人だった。その献身的なプレーで153試合に出場して、信頼できる右サイドバックとしての地位を築いた。そんなかつての日本代表は、故郷の古巣である鹿島アントラーズでキャリアを終える」

 シャルケで愛され、人気を高めていった内田の存在はドイツの人々の胸にもしっかりと刻まれているようだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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