「初日から最悪だった」「大金でやってきたから…」元フランス代表の9番がマドリーでの不遇を吐露!

2020年06月07日 サッカーダイジェストWeb編集部

名将デル・ボスケも嘆いたアネルカの振る舞い

ビッグイヤーを獲得したのが唯一の思い出か。アネルカ(左)が、不遇をかこったマドリー時代を回想した。 (C) Getty Images

 数多のスターたちが歴史を彩ってきたレアル・マドリー。だが一方で、活躍を期待されなが、クラブに馴染めずに退団した選手も少なくない。元フランス代表FWの二コラ・アネルカもその一人だろう。

 プレミアリーグで得点王(2008-09シーズン)となり、エースナンバーの9番も背負ったフランス代表では69キャップで14ゴールを記録するなど、華々しいキャリアを積んだアネルカ。だが、1999年7月にアーセナルから加わったマドリーでは鳴かず飛ばずのまま、クラブを追われていた。

 当時としては高額の移籍金2500万ユーロ(約30億円)で加入した血気盛んな20歳のヤングスターを、ビセンテ・デル・ボスケ監督は認めなかった。

 英紙『The Sun』によれば、何よりもチームの和を重んじたというデル・ボスケは、アネルカについて、次のように証言している。
 
「2500万ユーロも費やし、彼はスターとして雇われた。だがある日、彼は私の部屋にやってくるなり、我々が自分を成功させる気がないだろうと言ってきたんだ。さらに味方のゴールを祝福するつもりがないともね。そのあと、彼は2、3日は練習にやってこなかった。それでクラブは罰金を科したんだ。私もただで戻すつもりはなかった」

 当人もマドリー内での確執があった事実を認めている。『The Sun』は、アネルカが、「俺は部外者のように扱われた」と不満を漏らしたと伝えている。

「多くの人間が俺の獲得に反対していたのに、移籍してしまった。だから、マドリーでの日々は初日から最悪だった。クラブはスペイン人同士、とくにイエロとラウールを中心にとても親密な関係性を築いていた。だからか、大金でやってきた俺がラウールのポジションを任された時に腫れものとして扱われたんだ」

 結局、マドリーの水に馴染めなかったアネルカは2000年の夏にパリ・サンジェルマンへ移籍。そこから16年に引退するまで5か国9クラブを渡り歩いたが、二度とスペインのクラブでプレーすることはなかった。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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