「日本人の文化とマナーは素晴らしかった」元ミランDFが13年前のクラブW杯優勝を回顧! 

2020年05月07日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

「みんながカンピオーネだった」

2007年のボカ戦で先発したカラーゼ。レッドカードで退場したものの、ミランはリベンジを果たした。(C) Getty Images

 引退後に政治家に転身した元ジョージア代表DFのカハ・カラーゼは、約10年にわたってミランでプレー。スクデットやコッパ・イタリアのタイトルを獲得し、チャンピオンズ・リーグを2度制した。

 欧州王者として、世界一を決める日本での大会も2回経験している。まだインターコンチネンタルカップと呼ばれていた2003年と、名称がFIFAクラブ・ワールドカップになっていた2007年だ。

 相手は、いずれもボカ・ジュニオルズだった。2003年は、PK戦の末に南米王者に屈している。カラーゼは出場機会がなかった。準決勝で浦和レッズを下した2007年は、再び決勝でアルゼンチンの名門と対戦。自身は77分に退場となったが、チームは4-2と勝利してリベンジを果たした。

 この日本での戦いについて、カラーゼは記者とのインスタグラムでの対談で「日本での試合は簡単じゃなかった。時差があるからだ」と振り返っている。(イタリア『Pianetamilan.it』)

「最初の大会では、その時差の問題があった。2回目の時は、また相手がボカだったが、もっと準備を整えて臨み、勝つことができたんだ。日本人には素晴らしい文化とマナーあったよ」

 当時黄金期だったミランを牽引していたのが、レジェンドのパオロ・マルディーニだ。そのイタリア代表DFがアイドルだったというカラーゼは「部屋にポスターがあったほどだよ」と明かしている。

「ピッチの上でも、ピッチの外でも、カンピオーネだった。アレッサンドロ・ネスタもね。あのチームは、みんながカンピオーネだったんだ」
 
 当時の一員として、現在のミランをどのように見ているのか。「すべてのファンと同じように、わたしもこういうミランを見るのには慣れていない。でも、オーナーには素晴らしいプロジェクトがあると知っている」と話したカラーゼは、こう続けた。

「ミランは今のミランであってはいけない。つねに大きな目標を競わなければいけないんだ。この夏に競争力のあるチームがつくられることを願っているよ」

 ステーファノ・ピオーリ現監督や冬に加入したズラタン・イブラヒモビッチが残留するのか、コンタクトを取ったラルフ・ラングニックを招聘するのか。古巣ミランはまだ今後の大きな方針が決まっていない。首脳陣は、カラーゼが望むようなチームをつくることができるだろうか。

構成●ワールドサッカーダイジェスト編集部
 
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