セレソンの偉大なるキャプテンが語るJ参戦
セレソンのキャプテンとしてチームを支持されたカフーが、日本参戦の可能性があった過去を語った。 (C) Getty Images
ディエゴ・フォルランやルーカス・ポドルスキ、アンドレス・イニエスタ、フェルナンド・トーレス、ダビド・ビジャら昨今のJリーグでは、海外の大物スターの参戦が目立っている。
17年前にも、日本で巻き起こった空前のサッカーブームに乗っかり、J参戦を決めかけていたビッグネームがいた。元ブラジル代表DFのカフーだ。
無尽蔵のスタミナとセレソンのラテラウ(サイドバック)らしい積極果敢な仕掛けを武器に"右サイドの支配者"と恐れられたカフー。2002年の日韓ワールドカップでは主将として個性派軍団を束ね、見事に世界制覇に貢献した。
このブラジル代表の歴代最多出場記録(142試合)を持つ偉大なるキャプテンが、2003年にミランへ加入する直前に横浜F・マリノスと合意に至っていたことを告白した。現地時間5月2日にイタリア人ジャーナリストのジャンフランコ・メンガ氏と行なったインスタグラムのライブ配信で、次のように語っている。
「私は2003年の夏に日本の横浜と合意していた。そして日本へ向かう15日前にミランからのオファーが届いたんだ。すぐに『それは素晴らしい』と返事をしたよ。私は32歳だったが、カルロ・アンチェロッティが求めており、連絡するように直接クラブに言ったと聞いた。私は『大丈夫だ。問題はない』と答えたよ」
17年前にも、日本で巻き起こった空前のサッカーブームに乗っかり、J参戦を決めかけていたビッグネームがいた。元ブラジル代表DFのカフーだ。
無尽蔵のスタミナとセレソンのラテラウ(サイドバック)らしい積極果敢な仕掛けを武器に"右サイドの支配者"と恐れられたカフー。2002年の日韓ワールドカップでは主将として個性派軍団を束ね、見事に世界制覇に貢献した。
このブラジル代表の歴代最多出場記録(142試合)を持つ偉大なるキャプテンが、2003年にミランへ加入する直前に横浜F・マリノスと合意に至っていたことを告白した。現地時間5月2日にイタリア人ジャーナリストのジャンフランコ・メンガ氏と行なったインスタグラムのライブ配信で、次のように語っている。
「私は2003年の夏に日本の横浜と合意していた。そして日本へ向かう15日前にミランからのオファーが届いたんだ。すぐに『それは素晴らしい』と返事をしたよ。私は32歳だったが、カルロ・アンチェロッティが求めており、連絡するように直接クラブに言ったと聞いた。私は『大丈夫だ。問題はない』と答えたよ」
その時、横浜とはサインを交わすだけとなっていたカフーは、すぐさま日本へ電話をかけたという。
「私はすぐに横浜に電話し、『世界で最強のチームのひとつであるミランが私を求めてくれている』と説明した。あの当時に、日本行きのためにロッソネーリ(ミランの愛称)にノーと言うことは誰もできなかったはずだ。
そして、横浜との契約をキャンセルして、ミランにサインした。最初の契約は1年間のみだったが、最終的には2008年まで在籍できた。それは間違いなく正しい選択だったね」
ミランで2003-04シーズンのスクデット獲得や2006-07シーズンのチャンピオンズ・リーグ制覇に貢献したカフー。もし日本に来ていたら、どのようなプレーを見せていただろうか――。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部