「床にうずくまって泣いていた」モウリーニョがチェルシーを去った07年の“舞台裏”を元イングランド代表MFが激白!

2020年04月15日 サッカーダイジェストWeb編集部

「車に乗っていて、ラジオのニュースで知った」

モウリーニョ(左)の解任に泣き崩れていたというドログバ(右)。 (C)Getty Images

 ジョゼ・モウリーニョの去り際を良く知る人物が、重い口を開いた。

 2004年夏、チェルシーの監督に就任したモウリーニョは、直後にリーグを制覇し、50年ぶりのリーグ優勝をもたらした。翌05-06シーズンには連覇を達成。3年目はリーグカップとFAカップを制し、3シーズンで5つの主要タイトルをもたらした。

 だが、4年目となった07-08シーズンは開幕から不調が続き、9月20日に退任(事実上の解任)が発表され、クラブを去ることになった。

 この当時のチーム状況を、元イングランド代表のスティーブ・シドウェルが米メディア『The Athletic』に激白。「モウリーニョは選手からの信頼を失っていなかった」と語っている。

「僕らは皆、チームとして団結していたし、誰もモウリーニョに背中を向けていなかった。色んな報道がされていたけれど、亀裂なんて生じていなかったよ。選手は皆、彼を信頼していた。

 彼が去ることになった日、僕は妻を空港に送るために車を運転しながら、ラジオのニュースで聞いた。思わずクソっとうめいたよ。いったいどうなっちまうんだろうと不安だった。その後、招集がかかって、クラブハウスに向かった」

 そして、選手たちが会議室に集まると、モウリーニョが直接別れの言葉を語り始めた。すると、すすり泣く声が相次いだという。

「まるで誰かが亡くなってしまったかのような雰囲気だった。ディディエ・ドログバ、フランク・ランパード、ジョン・テリー、チームで主力を担っていた人たちが床にうずくまって泣いていた。多くの選手が目に涙を浮かべていて、僕も動揺していた。本当に奇妙な空間だった。僕らは彼を惜しんでいたのに……」

 モウリーニョの解任は、成績不振に加え、経営陣と補強を巡って対立が絶えなかったことも原因のひとつとされている。当時は選手たちとの軋轢など、様々な憶測も流れたが、"スペシャル・ワン"が多くの選手たちに惜しまれて去ったことは確かなようだ。

 この退任劇から6年後の13年夏、ポルトガル人指揮官はチェルシーへの帰還を果たした。就任2年目の14-15シーズンには、プレミアリーグとリーグカップの2冠を達成したが、第1次政権次の4年目と同じように3年目に低迷。12月17日に成績不振を理由に解任されている。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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