【J2】最速タイの初優勝! バルサにも通じる湘南の哲学

2014年10月15日 熊崎敬

育成主義とハードワーク主義という2つの指針。

キャプテンとしてもチームを引っ張った永木は、川崎ジュニアユースで曺監督の薫陶を受けた愛弟子。「2つの指針」を象徴する選手のひとりだ。 (C) Getty Images

 10月11日、6試合を残して湘南のJ2優勝が決まった。
 
 シーズン開幕直後から独走を続けてきただけに、J1昇格と並んで優勝決定は時間の問題だった。
 すでに湘南の強さはだれもが認めるところ。優勝が決まったからといって大騒ぎするメディアもいない。だが、彼らの独走優勝は歴史的な快挙といえるのではないだろうか。
 
 J2では過去、圧倒的な強さで優勝したチームが3つある。
 2004年の川崎、05年の京都、08年の広島だ。だが湘南は、彼らのように資金力や人材に恵まれてはいない。その「持たない」チームが記録づくめの快進撃を演じたからだ。
 
 この湘南の快進撃は、10年の蓄積の上に成り立っている。
 現社長の大倉智が強化部長に就任した05年、湘南は目指すサッカーの指針を明確に掲げた。厳しい財政の下、場当たり的な運営を続けていては未来がないことは明らかだったからだ。
 
「J1に上がりたい」、「勝ちたい」というのは当たり前。J1に上がるには勝たなければならない、ではお金のないウチはどうしたら勝てる? その中から育成主義とハードワーク主義という、2つの指針が生まれた。
 
 曺貴裁監督就任1年目となる2012年、湘南は下馬評を覆し、3年ぶりのJ1復帰を果たす。これは育成主義とハードワーク主義の結実だった。
 このときの主力は、多くが曺監督の教え子たち。高山薫(現・柏)と永木亮太は監督が川崎ジュニアユース時代に指導しており、菊池大介、遠藤航、古林将太、鎌田翔雅(現・岡山)も湘南ユース時代の教え子たち。
 監督が育てた教え子に加えて、大卒の無名の若手であるハン・グギョン(現・カタールSC)、岩上祐三(現・松本)、大槻周平らが徹底して走る「湘南スタイル」を貫き、昇格を勝ち取った。
 顔ぶれはいくぶん変わったが、その流れは確実に受け継がれている。
 育成主義とハードワーク主義を貫く湘南は、当然メンバーが若い。優勝を決めた東京V戦のスタメン、控え計18人の平均年齢は24.50歳。これは東京Vに次ぐ、2番目の若さだ。
 プロ経験が少ない若者たちが、魅力あふれる攻撃サッカーを繰り広げ、とびきりの結果を出す。それができるのも、いままでの蓄積の中で湘南スタイルが選手、スタッフ、サポーターに浸透しているからだ。
 哲学がしっかりしているから、選手を獲得する側も見誤ることが少ないし、そして選手も「こういうチームで、こういうプレーをするんだ」という明確なイメージを描くことができる。これはバルセロナにも通じる。
 
 J2を圧倒的な強さで勝ち抜いた湘南にとって、次なるターゲットはJ1残留だ。過去2度のJ1では、1年でのJ2降格を余儀なくされた。
 だが、「湘南スタイル」が驚異の進化を遂げたいま、J1残留、さらに定着へ夢は膨らむ。湘南が成功すれば、多くの「持たざる」チームが、その手法に学ぶはずだ。
 
文:熊崎敬
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