遠藤航が明かした電撃移籍の真相と浦和への想い「対世界を考えていた時にオファーが来た」

2018年07月23日 サッカーダイジェストWeb編集部

その決断は、まさに急転直下だった

急遽、決まった海外移籍。C大阪戦が遠藤の浦和ラストマッチになった。写真:川本学

 浦和からベルギー1部シント・トロイデンに移籍する遠藤航は、かねてからの念願だった海外移籍のチャンスを掴んだ。その決断は、急転直下のものだった。
 
 遠藤は以前から、海外移籍への願望をあまり隠そうとしていなかった。その想いは、「U-19代表で日本代表として試合に出るようになった頃から」という時期まで遡る。ちょうど1年前に、浦和から関根貴大がドイツへ移籍する際にも「良いなあ、という思いはありますよ」と話していたが、自身は「自分のペース、マイペースでというタイミングは考えた」という想いで浦和での戦いを続けていた。
 
 ロシア・ワールドカップでは、23人のメンバーに入りながらも出場機会はなかった。日本に戻ると、7月11日の天皇杯3回戦でフル出場し、18日のJ1リーグ16節の名古屋戦では今季の初ゴールを含む2ゴールをCKから決めた。本人は「ワールドカップで出た選手は完全燃焼したかもしれないけど、僕はその逆。出られなかった悔しさ、最後にああいう負け方をした悔しさがあって、モチベーションはすごく高かった」と、迫力あるプレーを見せていた。
 
 その名古屋戦から3日後となった21日、クラブを通じてベルギー移籍が発表された。遠藤自身も「オファーが来たのは最近のこと」と話したが、発表の翌日となった22日のC大阪戦が浦和でのラストゲームと、まさに電撃移籍という言葉がピッタリだった。
 
 遠藤は「浦和でプレーしてロシアで日本代表メンバーにも入れた。そこからもうひとつ、対世界、そこに出ていくことを考えた時に、自分の行くべきところが海外なのかなと改めて感じさせられていた時にオファーが来た」と、自身の想いと重なったタイミングでのオファーが届いたことが、急転直下の移籍劇につながった。
 
 その移籍をチームメートに伝えたのもほぼ同じタイミングだった。西川周作は「知ったのは昨日(21日)ですね。強化部の方と航が練習前のミーティングで、少し話があるんだけど、と。それだけ、自分の内に秘めて決断したんだと思います。僕は、彼のそういうところが好きなんですよね」と、選手たちにとっても急なことだったことを明かした。
 

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