慢心の優勝候補を奈落の底に突き落とした驚異の第三勢力。
先制点は、87年の雪のトヨタカップでも有名になったマジェール。いわく「西ドイツは勝手に我々を見くびり、勝手に勝利を放棄した」。 (C) SOCCER DIGEST
1982年6月16日、ヒホンのエル・モリノンで行なわれた西ドイツ対アルジェリア。このカードの戦前の興味は、欧州予選を全勝で通過した西ドイツが、本大会初出場のアフリカ代表国相手に、どのようなスコアで勝つかに絞られていた。
実際、西ドイツはユップ・デアバル監督以下、選手たちの誰もが勝利を確信していた。監督にいたっては「もし負けるようなことがあれば、汽車に乗って家に帰るよ」と笑顔で語る余裕ぶり。事前に相手のプレーを綿密にチェックするようなこともなく、試合でもただ巨漢FWホルスト・ルベッシュの頭にめがけて放り込む、ゆっくりと単調な攻撃を仕掛けた。
しかしアルジェリアは、非常に士気が高く、そして個々の力が高く、さらに統率の取れた優れた集団だった。研究済みだった西ドイツの攻撃を難なくかわすと、素早いパスワークと豊富な運動量で攻め立て、54分にはラバ・マジェールが先制ゴールを奪う。
一瞬、面食らった西ドイツだったが、その後も焦ることなくあまり効果のない攻撃を繰り返す。当時、西ドイツといえば「世界で一番逆転に持ち込むのが上手いチーム」と呼ばれており、本人たちにも余裕があったのだろう。事実、67分にはピエール・リトバルスキーとカールハインツ・ルムメニゲのコンビネーションで同点ゴールを奪った。
ここから優勝候補による"逆転ショー"が始まると人々が思った矢先、アルジェリアは気の緩んだ相手の隙を突いて左サイドを切り裂き、鋭いクロスをラクダル・ベルミがGKハラルド・シューマッハーの守るゴールに突き刺す。西ドイツの同点ゴールから、わずか1分後のことだった。
ここでようやく、西ドイツはアルジェリアが容易ならざる相手であることを理解したが、時すでに遅し。万全の対策を施してきたアルジェリアを攻略することは最後までできず、優勝候補は屈辱にまみれた敗北のホイッスルを聞くこととなった。戦前は余裕で軽口を叩いていたデアバル監督も「信じられない……」と語るだけだった。
実際、西ドイツはユップ・デアバル監督以下、選手たちの誰もが勝利を確信していた。監督にいたっては「もし負けるようなことがあれば、汽車に乗って家に帰るよ」と笑顔で語る余裕ぶり。事前に相手のプレーを綿密にチェックするようなこともなく、試合でもただ巨漢FWホルスト・ルベッシュの頭にめがけて放り込む、ゆっくりと単調な攻撃を仕掛けた。
しかしアルジェリアは、非常に士気が高く、そして個々の力が高く、さらに統率の取れた優れた集団だった。研究済みだった西ドイツの攻撃を難なくかわすと、素早いパスワークと豊富な運動量で攻め立て、54分にはラバ・マジェールが先制ゴールを奪う。
一瞬、面食らった西ドイツだったが、その後も焦ることなくあまり効果のない攻撃を繰り返す。当時、西ドイツといえば「世界で一番逆転に持ち込むのが上手いチーム」と呼ばれており、本人たちにも余裕があったのだろう。事実、67分にはピエール・リトバルスキーとカールハインツ・ルムメニゲのコンビネーションで同点ゴールを奪った。
ここから優勝候補による"逆転ショー"が始まると人々が思った矢先、アルジェリアは気の緩んだ相手の隙を突いて左サイドを切り裂き、鋭いクロスをラクダル・ベルミがGKハラルド・シューマッハーの守るゴールに突き刺す。西ドイツの同点ゴールから、わずか1分後のことだった。
ここでようやく、西ドイツはアルジェリアが容易ならざる相手であることを理解したが、時すでに遅し。万全の対策を施してきたアルジェリアを攻略することは最後までできず、優勝候補は屈辱にまみれた敗北のホイッスルを聞くこととなった。戦前は余裕で軽口を叩いていたデアバル監督も「信じられない……」と語るだけだった。