ベッカム、マルディーニらも追悼…偉大なる元イングランド代表MF、レイ・ウィルキンスが逝く

2018年04月05日 サッカーダイジェストWeb編集部

ヨルダン代表監督としてアギーレジャパンとも対戦

61歳での逝去はあまりに早すぎた。写真はFAユースカップ準決勝前バーミンガム対チェルシー戦の前に行なわれた目標の際のスタジアムのビジョン。 (C) Getty Images

 4月4日(現地時間)、かつてチェルシー、マンチェスター・ユナイテッド、ミランなどで活躍した元イングランド代表MFのレイ・ウィルキンスが、61歳で亡くなった。
 
 3月30日に心停止を起こしたウィルキンスは、病院で治療を受けていたが意識を取り戻すことなく、あまりに早くその生涯を閉じることとなった。
 1956年9月14日にロンドンで生まれたウィルキンスは、73年にチェルシーでプロデビュー。インテリジェンス溢れるプレーが光るMFで、的確なパス出しでゲームを構成しながらチャンスを創出、なおかつ豊富な運動量で泥臭いプレーも厭わず、最終ラインでプレーできる器用さを備えていた。
 
 79年に加入したマンチェスター・ユナイテッドでは83年にFAカップ、チャリティシールド(現コミュニティシールド)で優勝に貢献。84年にミランに移籍し、マーク・ヘイトリーとのイングランド人コンビで過渡期にあったチームで奮闘を見せた。
 
 その後、パリ・サンジェルマンを経て87年にスコットランドのレンジャーズでリーグ、リーグカップのタイトルを獲得。89年にイングランドに戻り、以降はQPR(-94)、クリスタルパレス(94)、QPR(94-96)、ウィコム・ワンダラーズ(96)、スコットランドのハイバーニアン(96-97)、ミルウォール(97)、レイトン・オリエント(97)と渡り歩いた。
 
 イングランド代表としては76年のデビュー後、EURO80の他、82年スペイン、86年メキシコという2つのワールドカップに出場。クリーンな選手ながら、後者の大会ではモロッコ戦で2度の警告を受けて退場処分となり、自己嫌悪に陥るということもあった。10年あまりのキャリアで、84試合(歴代14位)に出場している(得点数は3)。
 
 94-96シーズンのQPRでプレーイングマネジャーを務めていた彼は、41歳でユニホームを脱いだ後、97年にフルアム、2009年には暫定のかたちながらチェルシーを率いた。
 
 チェルシーでは、ルイス・フェリペ・スコラーリ、フース・ヒディンク、カルロ・アンチェロッティといった監督のアシスタントを務め、04年から07年まではイングランドU-21代表チームでもピーター・テイラー監督の補佐を務めている。
 
 ワトフォード、ミルウォール、アストン・ビラでもアシスタントコーチを歴任したウィルキンスは、14年からヨルダン代表監督に就任。翌年1月にはアジアカップのグループステージでアギーレ監督率いる日本代表とも対戦している(0-2の敗戦)。
 
 現場だけでなく、『スカイスポーツ』などでコメンテーターとしても活動していた。

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