【小宮良之の日本サッカー兵法書】「ファイター集団」A・マドリーを“焦げ付かせた”サッカーの原点

2018年01月08日 小宮良之

とはいえ、楽しさが勝利に結び付かなければ…

 プロとしては、結果が問われる。その点、どのような内容であっても、勝者と敗者は強い陰影を作る。それは自然なことなのだろう。
 
 勝利することは、自信と陶酔をもたらす。それが、プレーそのものをレベルアップさせることもある。そういう集団が「常勝」とも呼ばれるのだろう。
 
 では、勝利至上主義に向かって突っ走るべきなのだろうか?
 
 その原理を信じて体現してきた筆頭格が、スペインのアトレティコ・マドリーである。過去4シーズンで2度のチャンピオンズ・リーグ決勝進出。昨シーズンはベスト4だった。コンスタントに勝利を重ねられる理由は、ストイックに、ロジカルに勝利を追求している点にあった。
 
「ポゼッションに意味はない」
 
 ディエゴ・シメオネ監督は、プレーの美しさのような部分を真っ向から否定する。必要なら、完全にリトリートし、守り切る。勝つためには、なりふり構わなかった。
 
「我々が売りに出せないのは、"献身"だけだ」
 
 シメオネはそう言って、プレーに対する責務を強く論じた。それは端的に言えば、相手に自由を許さない。自分の持ち場で負けず、チームのために身体を張れる、ということだろう。
 
 結果、シメオネのチームは対戦相手が畏怖するような粘り強さと闘争心を発揮するようになった。ひたすら、走って闘争する。ファイターの集団になったのだ。
 
 しかし今シーズンは、どこかで歯車が狂っている。チャンピオンズ・リーグではグループステージでの敗退が決まっている。
 
「QUEMADO」
 
 A・マドリーの不振は、スペイン語でそう端的に表現される。「焦げ付いた」という意味で、勝利への追求において、精神的、肉体的にキレを失った状態を指している。戦うことそのものに疲れてしまったというのか……。
 
 サッカーというスポーツの原点は、ボールゲームを楽しむことにある。ボールを触り、動かし、そしてゴールネットを揺らす。その感覚は、プロになっても、プレーの原動力になっている。
 
「アトレティコは走り過ぎる」
 
 アルダ・トゥランはそう言い残し、2015年、4シーズンを過ごしたチームを去っていった。
 
 プレーの楽しさ。
 
 その純粋な探求が、力を向上させる。優秀な選手の多くは、単純な楽しさと向上心で、その成功を掴んでいる。勝ち負けだけに特化した環境では、どうしても「焦げ付いて」しまうのだ。
 
 もっとも、楽しさが勝利に結び付かなければ、やはり上達は望めない。フットボールは、「みんなで仲良しレクリエーション」とは違う。勝負事だ。
 
 かつて予測を裏切るスペクタクルなプレーで観客を楽しましたブラジル人MF、ジャウミーニャが言っていた言葉がある。
 
「楽しむ? 負けて、何が楽しいんだよ?」
 
文:小宮 良之
 
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『おれは最後に笑う』(東邦出版)など多数の書籍を出版しており、今年3月にはヘスス・スアレス氏との共著『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』(東邦出版)を上梓した。
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