レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第32回・プジョール(元スペイン代表)

2018年01月04日 サッカーダイジェストWeb編集部

バルサで全てのタイトルを勝ち取った闘将

全てを勝ち取ったバルサ。サッカーの歴史に残る偉大なチームの中心に、プジョールの姿はあった。写真は08-09シーズンのCL優勝。 (C) Getty Images

 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。
 
 さて今回、サッカーダイジェストWebに登場するのは、決して器用ではないものの、その闘争心と献身性を前面に出したプレーで数々の奇跡を起こし、チームの牽引者となって栄光へと導いた魂のDF、プジョールだ。
 
 守備だけでなく、時に攻撃でも決定的な仕事を果たし、バルセロナ、スペイン代表の欧州&世界制覇に多大な貢献を果たした偉人の軌跡を、ここで振り返ってみよう。
 
――◇――◇――
 
 1978年4月13日、カルレス・プジョール・サフォルカーダはスペイン・カタルーニャ州で生まれた。幼少期からボールと触れ合うようになった彼が地元のクラブに所属するようになった時、最初に務めたポジションはGKだった。
 
 しかし、間もなく前線でプレーするようになり、95年にバルセロナの下部組織に入団。ポジションをMFに移して力をつけていった彼は、19歳の時にBチームに引き上げられる。ここで彼が務めたのは右SBだった。
 
 98年にはマラガへの移籍話が持ち上がり、クラブ間では合意に達したものの、同期のシャビがトップチームに昇格したことに刺激を受け、自身もバルサでプレーし続けることを希望。そして翌年10月2日のバジャドリー戦で、リーガ・エスパニョーラでのデビュー戦を飾った。
 
 右SBとして、またCBとしても適性を示したプジョールは、デビューシーズンで早くもリーガ24試合に出場し、レギュラーの座を射止める。
 
 クラブが財政難に陥った際にはマンチェスター・ユナイテッドからオファーを受けるも、これを断ってバルサとの契約を延長すると、2003-04シーズンからはルイス・エンリケの後を継いでキャプテンに就任した。
 
 決して器用ではなく、技術的なポカは時折見られるものの、それを補って余りある闘争心と献身性、そして身体を張った守備はチームを救い、そして攻撃陣をも鼓舞してバルサの勝利に結び付いていった。進化を続ける彼は、02年にはUEFAによって「ベストSB」に選出された。
 
 クラブが下降線を辿り始めたシーズンにデビューした彼は、長くチームタイトルとは無縁でいたものの、04-05シーズンにフランク・ライカールトの下、ロナウジーニョら世界的名手らとともに、バルサに久々のリーグ優勝をもたらす。
 
 翌シーズンにはリーグ連覇、さらにはクラブ史上2度目となる欧州制覇にも貢献。チャンピオンズ・リーグ決勝でアーセナルを下した後、プジョールはキャプテンとして、ビッグイヤーを最初に掲げる名誉を授かった。
 
 そして08年にライカールトの後を受けたジョゼップ・グアルディオラの下、バルサはファーストシーズンでリーガ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズ・リーグ(CL)の三冠を達成し、さらにリーガはここから3連覇、CLも10-11シーズンにマンチェスター・Uを決勝で下し、プジョール自身は2度目の欧州制覇を果たした。
 
 06年のクラブワールドカップで来日を果たすも、チームはブラジルのインテルナショナルに敗れて世界一はならず。しかし09年にUAEでエストゥディアンテスを延長戦の末に下すと、11年には横浜で当時ネイマール所属のサントスを4-0で零封。プジョールはいずれもキャプテンとしてピッチに立った。
 
 03年からCBに移行していた彼は、05、06年とUEFAの「ベストCB」に選出され、08年から3年連続で同賞を受賞することとなった。
 
 獲り得る限りの全てのタイトルを獲り尽くしたチームを牽引してきた偉大なキャプテンは、時に怪我に苦しみながらもその強靭な精神力でピッチに立ち続けた。13-14シーズンでバルサ、そして現役生活に別れを告げることとなった時、彼の身体は至るところが傷付いていたが、それも闘将にとっての勲章だった。

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