2002年W杯で稲本潤一にぶち抜かれたベルギー代表DFの知られざるその後

2017年11月15日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

W杯から8年後に川島永嗣と師弟関係に。

稲本(5)に突破を許して限界を露呈したファン・メイル(4)。1年後に引退を余儀なくされた。(C)Getty Images

 日本とベルギーの対戦といえば、思い出されるのは2002年の日韓ワールドカップだ。グループリーグの初戦で顔を合わせ、2-2のドロー。初勝利は逃したとはいえ、日本はワールドカップで初の勝点を奪い、その勢いに乗ってベスト16進出を成し遂げた。
 
 その歴史的一戦のハイライトが、日本の2点目となるMF稲本潤一のゴールだ。1-1で迎えた68分、稲本が鋭いプレスでマルク・ビルモッツからボールを奪うと、そのこぼれ球を拾ったFW柳沢敦のパスを受け、立ちはだかるDFをあっさりとかわして左足でシュート。鮮やかにネットを揺らした。
 
 この時、なす術なく稲本に突破を許したのが、CBのエリック・ファン・メイル(当時34歳)だった。この軽い守備で指揮官の信頼を失ったのか、6日後に行なわれたチュニジア戦(1-1)ではスタメンを外れ、続くロシア戦(3-2)でも試合終了間際に守備固めで投入されるにとどまった。そして、この35キャップ目がベルギー代表でのラストゲームとなった。
 
 ワールドカップ後の02-03シーズン、スタンダール・リエージュでも定位置を失ったファン・メイルは、わずか4試合しか出場できず。シーズン終了後に、ひっそりとユニホームを脱いだ。
 
 日本戦の後、たった5試合しかピッチに立てずに現役引退を余儀なくされたのだから、サッカー人生とはわからないものである。
 
 引退後ほどなくして古巣リールセのアシスタントコーチとなったファン・メイルは、7年に渡ってチームを支えた。そして10年の9月、突如として監督の座に就くチャンスが巡ってくる。解任されたエメ・アンテニュス監督の後任として白羽の矢が立ったのだ。
 
 トップチームの指揮を執るのは初めてだったにもかかわらず、厳しい残留争いを勝ち抜き、なんとか降格を免れた。ちなみに、このチームで正守護神を務めたのが、海外挑戦1年目の川島永嗣だった。お世辞にも守備が堅いとはいえないチームでファインセーブを連発し、残留の立役者となっている。
 
 その後、リールセのスカウトやアシスタントコーチ、3部のクラブの監督などを経て、15年9月に再びリールセの監督に途中就任。翌16-17シーズンも指揮を執ったものの、17年3月に成績不振で解任された。
 
 現在は、解説者として活躍しているファン・メイル。再び指揮官として現場に戻る日もそう遠くないだろう。
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