レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第30回・カンナバーロ(元イタリア代表)

2017年11月02日 サッカーダイジェストWeb編集部

抜群の対人プレーの強さを誇ったカルチョの象徴

パルマで選手として大きな成長を遂げた。ちなみにこのクラブでは99年から4シーズン、8歳下の弟パオロ(現サッスオーロ)とチームメイトだった。 (C) Getty Images

 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。
 
 さて今回、サッカーダイジェストWebに登場するのは、堅守の伝統を誇るイタリアの歴史においても、1位、2位を争う対人プレーの強さを誇った最終ラインの小さな鉄人、ファビオ・カンナバーロだ。
 
 守備の要、そして偉大なリーダーとして、ビッグクラブを渡り歩き、そしてイタリア代表を世界一の座へ導いた偉人の軌跡を、ここで振り返ってみよう。
 
――◇――◇――
 
 ファビオ・カンナバーロは1973年9月13日、イタリア南部の大都市、ナポリに生を受けた。
 
 幼少時からサッカーに興じ、地元のクラブで技を磨いた彼は、憧れのクラブであるナポリのスカウトの目に留まり、88年にユースチームに入団。当時、ナポリ所属でキャリアの全盛期にあった世界一の選手、ディエゴ・マラドーナを間近で見られることに心を躍らせた。
 
 元々は攻撃的なポジションでプレーしていたカンナバーロは、ナポリでCBとしての特性を見出され、徹底的に対人プレーを磨き上げていった。ユース時代のエピソードでは、トップチームとの練習でマラドーナを止めようとラフプレーを仕掛け、スタッフや先輩選手に叱られるも、当のマラドーナからはその心意気を褒められたという有名なものがある。
 
 プロデビューは1993年3月7日のセリエA、ユベントス戦。残念ながら、憧れのマラドーナは2年前に退団しており、チームメイトとしてプレーすることは叶わなかったが、チーロ・フェラーラら手本にできる選手は、当時のチームには多くいた。
 
 ファーストシーズンではリーグ2試合の出場に終わるも、翌シーズンは早くも主力として27試合でピッチに立ち、翌シーズンも29出場、さらにミラン戦でキャリア初のゴールも決めた。
 
 プロ3年目にして、ナポリの中心選手となり、生え抜きとしてファンの期待を一身に受ける存在となったカンナバーロだが、95年、愛する故郷との別れが訪れる。財政難に陥っていたナポリは主力を売却せざるを得ず、前年のフェラーラ(→ユベントス)に続き、今度はカンナバーロを手放すことを決意したのである。
 
 生粋のナポリっ子が後ろ髪を引かれる思いをしながら向かったのは、北部のパルマ。90年にセリエA昇格を果たしてから、年々、力を上げてリーグでも優勝候補の一角にまで昇り詰めた新勢力において、カンナバーロは守備の要としての重要な役割を担うこととなった。
 
 カンナバーロ加入のシーズンに17歳でデビューを飾ったGKのジャンルイジ・ブッフォン、96年に加入したリリアン・テュラムとともに強力DF陣を形成。攻撃陣にも各国のスター選手を揃えたパルマは、96-97シーズン、ユベントスに次ぐリーグ2位という、クラブ史上最高成績を挙げた。
 
 98-99シーズンには、コッパ・イタリア、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)と、立て続けに制してタイトル獲得の喜びを初めて味わったが、この頃からパルマは財政事情が悪化し、強豪の地位から転落。2001-02シーズンにコッパ・イタリアを制した後、カンナバーロはスクデットを求めて、インテルに新天地を求めた。
 
 しかし、このクラブでは悲願を叶えることはできず。02-03シーズンはユベントスに勝点7離されての2位、翌シーズンは4位に終わった。彼にとっては、首脳陣との確執や起用法などにも悩まされた2年間でもあった。
 
 04年、そんな失意のカンナバーロを新たな守備の要として迎えたのが、イタリアの盟主であるユベントスだった。ここで彼は2年連続でスクデットを獲得。ついに念願が叶ったと思いきや、06年にカルチョを震撼させた八百長疑惑が発覚し、ユベントスはこの2つのリーグ優勝を取り消された挙句、セリエB降格処分を受けた。
 
 2部リーグでのプレーを拒否した彼に目を付けたのは、名門レアル・マドリー。ユベントスでのボス、ファビオ・カペッロとともにスペインに渡ったカンナバーロはこの年、DFとしては3人目となるバロンドール受賞を果たし、さらにその価値を高めた。
 
 マドリーでは、1年目に32試合、翌シーズンに33試合に出場してリーガ・エスパニョーラ連覇と、今度こそ本当にリーグタイトルを手にしたが、徐々にそのパフォーマンスの質は低下していき、08-09シーズンをもって退団、ユベントス復帰を果たした。

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