「セリエ移籍当初は謎の物体だった」イタリア・メディアが中田英寿のキャリアを回想

2017年09月15日 サッカーダイジェストWeb編集部

ペルージャ対パルマの一戦がセリエBで開催されることをきっかけに。

ペルージャ移籍当初は、そのパフォーマンスを疑うファンも少なくなかったが、中田はそれを見事に覆してみせた。 (C) Getty Images

 現地時間9月16日、セリエB第4節でペルージャ対パルマの一戦が行なわれる。この両チームの名前を聞いて、元日本代表MFの中田英寿を思い出すサッカー・ファンは少なくないだろう。それは、現地メディアも同じのようだ。
 
 14日、イタリア『スカイ・スポーツ』は、両チームの対戦に際して、「この2チームとリンクする人と言えば、イタリアと世界のサッカー界を魅了した両チームのOB、ヒデトシ・ナカタだ」と、中田のイタリアでの活躍を振り返った。
 
 日本がワールドカップに初めて出場した1998年夏、ペルージャに加入した中田。1994-95シーズンにジェノアでプレーした三浦知良以来となるセリエA2人目の日本人選手ということもあり、当初は、その実力に懐疑的な目が少なくなかった。スカイは、「移籍当初は謎の物体だった」と伝えている。
 
 しかし、中田はホームでの開幕戦で、そんなイタリアのメディアとファンの度肝を抜いた。王者ユベントスを相手に衝撃の2ゴールをマークしたのだ。
 
 試合には3-4と敗れたが、スカイはこのデビュー戦以降、中田が「たびたび納得のパフォーマンスを見せてメディアの寵児になった」とし、「日本のファンとメディアが追いかけるなかで、ペルージャの残留に貢献」と回想している。
 
 それから2000年冬にローマに移籍した中田は、2000-01シーズンに日本人初となるセリエA優勝に貢献。フランチェスコ・トッティとのポジション争いで出場機会に恵まれなかったが、そのトッティとの交代で途中出場し、2点ビハインドから反撃の狼煙となるゴールを挙げ、チームに貴重な勝点1をもたらしたユベントスとの天王山で見せたプレーは今も語り草だ。
 
 そのシーズン後に移籍したパルマでは、2004年冬にボローニャへと移籍するまで、67試合に出場して5得点を記録。2001-02シーズンのコッパ・イタリア決勝(対ユベントス)でもネットを揺らすなど優勝に貢献した。スカイは、「多くはなかったが、ナカタのゴールは重要な得点であることが多かった」とし、元ブラジル代表のペレが「偉大なサッカー選手100人」に選出したことを紹介している。
 
 パルマ退団後にボローニャやフィオレンティーナ、イングランドのボルトンでプレーし、2006年のドイツ・ワールドカップで現役を引退した中田。スカイは、現在、その元日本代表が、「芸術やファッション、日本酒の魅力を伝え、世界中を飛び回っている」と、記事を締めくくっている。
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