"外"から見た鹿島の印象は?クラブの歴史を知り尽くしたOBが大いに語る!【石井正忠×岩政大樹#1】

2017年09月19日 岩政大樹

常勝・鹿島の監督とは、どんなものなのか。

岩政氏にとって「選手に近いコーチ」だった石井氏との対談は次第に熱を帯びていった。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 サッカーの未来について考える。語る。
 対談連載の第4回は、石井正忠さんにお話を伺いました。

   石井さんは鹿島アントラーズが1993年のJリーグ初年度を戦った時の初代キャプテンです。現役を引退された1999年には、すぐに鹿島のコーチ(ユース)として帰還され、トップチームのフィジカルコーチ、ヘッドコーチと歴任されました。そして、2015年のシーズンの途中からは鹿島では21年ぶり2人目となる日本人監督として指揮されました。

 
   1991年に住友金属工業(鹿島の前身)に加入されてから、現役最後の年となった1998年の1年間を除いて、実に26年もの時を鹿島と歩んだことになります。鹿島の歴史そのものとも言える存在です。
 
 私が鹿島に入団したのが2004年。石井さんはフィジカルコーチでした。ひと言で言い表すと「いい人」。選手に一番近い存在で、気軽に相談できる兄貴分でした。それから少しずつ立場を変えられ、より重要な役割を任されるコーチになっていかれましたが、それでも選手にとって話しやすい存在というのは変わりませんでした。
 
   私は2013年シーズンをもって鹿島を離れ、石井さんは2015年シーズンの途中から監督になられました。私にとっては「選手に近いコーチ」というイメージができあがっていたので、石井さんが監督としてどんな日々を送られたのか、とても興味がありました。そして、常勝・鹿島の監督というものがどんなものなのか、ほんのわずかの人しかまだ経験していない、その重職について伺いたいと願い、お会いしてきました。
 
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石井正忠 毎週大変ですね。解説業に指導者、プレーヤーとしても活動していますし。
 
岩政大樹 大変です(笑)。でも、プレーのほうは減ってきました。練習をオーガナイズする時に自分も一緒にプレーしていると指示が難しいじゃないですか。そうなると、少し運動量が足りなくて……。毎週の試合で、なんとか体力をキープしています。仕方ないですよね。コーチングのほうが気になってしまうので。
 
石井 ひとに任せると、ちょっとしたニュアンスが違って来ますからね。
 
岩政 そうなんです。石井さんは、どんな日々を過ごされていますか?
 
石井 ゆっくりしています。平日は初めて娘との夏休みを満喫し、週末はひとりで試合観戦。鹿島のホームゲームだけでなく、いろんな競技場でサッカー観戦を楽しんでいます。

次ページ監督解任後、初めて観に行ったのが鹿島のホームゲーム。バックスタンドで観戦した。

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