海外移籍の松井大輔に中村俊輔が送った珠玉の言葉。そして再挑戦に秘めた本人の決意とは

2017年08月08日 サッカーダイジェストWeb編集部

松井の献身ぶりに「こんなに走るんだ、と驚いた」と語る選手もいた。

松井は思い悩んだ末に、愛するクラブを出る決断をした。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

 広島に2-3で敗れ、磐田の連勝は6でストップした。
 
 8月5日に行なわれたこの試合、名波監督や選手たちの勝利へのモチベーションは、連勝記録を伸ばすことだけではなく、新たな夢を追い、再び海を渡る松井大輔の花道を飾ることにもあった。むしろ、その気持ちのほうが強かったかもしれない。
 
 名波監督は試合後の記者会見で、「勝って笑って送り出したかった。本人には非常に申し訳ないと思う。楽しく、(彼)らしさをもって新しいサッカー人生を歩んでほしい。ジュビロのエンブレムを付けた仲間として、飛躍してほしいと思います」と語った。
 
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 ポーランド2部『オドラ・オポーレ』への完全移籍が発表された翌日、松井は、決断が難しいものだったことを明かした。
 
「オファーを受け、すごく悩みました。3年前に磐田に来た時に、磐田をJ2からJ1に上げたら、また海外でやってみたいなという思いもありました。その気持ち、違う環境で自分自身に挑戦したいという思いが強くなって、決めました」
 
 2014年、10年間の欧州での輝かしい選手生活を終えて、磐田でJリーグに復帰した松井は、キャプテンマークを左腕に巻き、J2を闘った。磐田が最も苦しいシーズンに、豊富な経験と技術に裏打ちされたハイレベルなプレーだけではなく、誰よりも走り、ユニホームを汚して闘う姿でチームを牽引。その献身ぶりに「こんなに走るんだ、と驚いた」と語る選手もいた。
 
 先発出場が減っても、"腐る"様子はなく、いつ出番が来てもいいように万全の準備を怠らなかった。チームメイトにとって「自分を信じることの大切さ、練習は嘘をつかないということを学べる人」(宮崎)であり、「誰かが調子を落としたりした時に、一番気にかけてくれて、考えをひき出してくれる頼れるひと」(川辺)であり続けた。
 
「チームのために、仲間のために、という想いが強かった。そういう気持ちでやれたことは、自分にとってもすごくプラスでした。いい奴ばかりで、こんなにフレンドリーなクラブはないと思うし、このまま居たいな、という気持ちもありました」
 
 磐田での3年半と想いを、松井はそう振り返る。

次ページ中村は言う。「(松井は)試合に出られないから、と言うような小さな男ではない。」

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