【蹴球日本を考える】FC東京の動きが「90年代のパソコン」のように重いのは、指導力だけの問題ではない

2017年04月17日 熊崎敬

この内容が続くようだと、また昨季のように決断しなければならないだろう。

FC東京の攻撃は連係がなく、みんなが考え込んでプレーしているようだ。写真:徳原隆元

 大型補強で優勝候補に浮上した東京が、早くも3敗目を喫した。
 
 天敵、浦和との一戦は完封負け。2度ポストを叩く場面があったが、浦和守備陣をほとんど崩すことはできなかった。
 
 悩ましいのは、攻撃の形がほとんどないことだ。
 プレッシャーがかかると中盤でつなげず、困って後方に落としたボールを大きく蹴り、阿部を裏に走らせるくらい。過密日程から浦和の動きが落ちた終盤は押し込んだが、それも確率の低い放り込みに終始した。
 
 歴然としているのは、コンビネーションの質の差だ。
 
 ペトロヴィッチ体制6年目となる浦和は、選手たちがいつどこにだれがいるかが頭と身体に染みついていて、チームがひとつの生き物のように機能する。ボールの流れが淀みない。
 
 浦和はボールの周りに次々とサポートが顔を出し、多彩なコンビプレーを駆使して局面を打開する。ワンサイドを執拗に突き、敵を誘き寄せてからのサンドチェンジも繰り出す。右の森脇から左の宇賀神に40メートル級のパスが何度も通ったが、隣同士だけでなく遠く離れた選手同士でも意思が通じている。
 
 この浦和に比べると東京は連係がなく、3人目以前の問題。みんなが考え込んでプレーしているため、90年代のパソコンのように動きが重い。
 
 こうしたチーム力の差は、そのまま監督の指導力の差とは言い切れない。6年目のペトロヴィッチと違い、篠田監督は就任から1年も経っていないからだ。
 
 チームの停滞はフロントの問題でもある。
 東京はフィッカデンティ体制下の2年間で形ができてきたが、イタリア人監督が退任すると、ふたたび迷走が始まった。これはJリーグ全体の傾向だが、方向性の見えないチームは少なくない。
 
 振り返れば東京は昨季第2ステージ13位と低迷した7月、城福監督を解任。篠田コーチを監督に昇格させた。新監督は選手の自信を回復させ、8勝2分け2敗と降格の危機から救出した。新監督はもちろん、フロントもいい仕事をした。
 
 監督は選手起用の責任者。11人をピッチに送り出し、代えどきを見極め、交代選手を送り出す。
 フロントにも、これに似た役割がある。監督を選び、危なくなったらだれかを準備させ、決断をするということだ。この内容が続くようだと、また昨季のように決断しなければならないだろう。

取材・文:熊崎 敬(スポーツライター)
みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事