最年少36歳でS級ライセンスを取得したのは、高校サッカー界を席巻した“赤い彗星”の10番

2016年12月29日 佐藤香織

志波イズムを継承する、まさに“ロールモデル”

現在は福岡U-15で監督を務める宮原。あの人懐っこい社交的なキャラクターも変わらぬままだ。写真:佐藤香織

  12月20日、Jリーグアウォーズの祭典がスタートする2時間前、日本サッカー協会の田嶋幸三会長は、満面の笑みを浮かべていた。
 
 2016年JFA公認S級コーチ認定式で、宮原裕司の顔を見つけたからだ。
 
「俺のなかでは、あのときから時が止まってるんだけどな(笑)。ほんとに変わってないな」
 
 いまからおよそ20年前、高校サッカー界をリードしていたのは、前人未到の高校3冠(インターハイ、全日本ユース、選手権)&選手権2連覇を達成した東福岡。国立競技場で躍動した背番号10が、最年少の36歳でJFA公認S級コーチの認定を受けた。
 
 1980年7月19日生まれの宮原は、180㌢と長身ながら圧倒的な技巧とパスセンスを武器に、観る者を魅了したプレーメーカーだ。Jリーグでは10年間活躍し、名古屋グランパス、アビスパ福岡、サガン鳥栖、セレッソ大阪、愛媛FCを渡り歩いた。2010年に現役を引退。すぐさま最終所属クラブとなった福岡で指導者の道に入り、現在はU-15チームの監督を務めている。
 
「べつにスゴくないよ。もっさん(本山雅志)や金古(聖司)、チヨ(千代反田充)とか、みんなより早く引退した者の務めだし、普通でしょ」
 
 と本人は謙遜するが、同級生たちのSNSは称賛の書き込みで埋めつくされている。
 
 宮原が東福岡の1年生だった1996年当時、志波芳則監督(現総監督)がS級ライセンスを取得した。Jリーグが発足してまもない時期。その取得に対しては、高校教育、学校スポーツの視点ではいかがなものかといった否定的な意見もあった時代だ。志波氏が次代を託した森重潤也現監督も元プロサッカー選手で、いわば亜流である。
 
 名伯楽の言葉だ。
 
「Jリーグの監督になりたいわけじゃない。この先、もしかしたらプロになるかもしれない生徒を預かっているのだから、指導する側だってJリーグの監督になれる技術を持っているべきだと考えただけです。これまでは高校、大学を卒業してしまうと生活のためにはサッカーより普通の社会人になるしかなかった。プロリーグがなかったからですよね。これからはサッカーで飯を食べることも選択肢に入れられるし、プロ選手にならなくてもずっとサッカーに関わっていける時代になってきます。選手権に出るような選手にはいつも言っていま。サッカーで飯を食うことを考えろ、そして応援してくれた人たち、試合に出れなかった同級生への恩返しとして、地元のサッカーに貢献する人物になれ、とね」
 
 そんな志波監督の背中を見てきた宮原にとっては、"普通"のこと。しかしその道程は、Jリーグが目指す理念がぎゅっと詰まった、まさにロールモデルだと言える。
 
 かつて、宮原を擁して選手権連覇を果たした"赤い彗星"。12月30日から始まる第95回大会では、イズムを継承する後輩たちが、18年ぶりの偉業達成に挑む。
 
取材・文・写真:佐藤香織
 
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