C・ロナウドが「発見」された運命の日

2016年11月14日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

親善試合で赤い悪魔の面々を感嘆させる。

スポルティング(左)からマンチェスター・U(右)への移籍は03年8月6日の親善試合がきっかけで実現した。(C)Getty Images,REUTERS/AFLO

 2003年8月6日――。
 
 クリスチアーノ・ロナウドの輝かしいフットボールキャリアにおいて、大きなターニングポイントになった歴史的な日だ。なにしろ、マンチェスター・Uという世界的ビッグクラブに「発見」されたのだから。
 
 スポルティングに所属していたトップチーム2年目の18歳の少年はこの日、エスタディオ・ジョゼ・アルバラージの竣工記念試合に臨む。相手はマンチェスター・Uだった。
 
 28番を背負った若武者はこの試合で、図抜けたスピードとテクニックで次々と違いを作って2ゴールに絡み、赤い悪魔の面々を感嘆させた。
 
 その前からカルロス・ケイロス(ポルトガル人のアシスタントコーチ)に「すごい少年がいる」と聞かされていた名将アレックス・ファーガソンは、実際にその目でプレーを見て強い印象を受け、試合後にはC・ロナウドを自分たちのロッカールームに招待。直接「君を獲得したい」と告げたという。
 
 さらに、リオ・ファーディナンドをはじめロイ・キーン、ルート・ファン・ニステルローイなどの重鎮も、「あの子を獲らないときっとあとで後悔する」と獲得を後押しした。
 
 名伯楽は後に当時をこう振り返っている。
 
「これまでに見た若いプレーヤーの中で、もっとも興奮を覚えた」
 
 すでにバルセロナやアーセナル、リバプールなど他のビッグクラブも引き抜きに動いていたが、マンチェスター・Uもすぐさまスポルティングに獲得オファーを提示。親善試合からわずか6日後の8月12日には、10代選手としてはイングランド・サッカー史上最高額の1224万ポンド(当時のレートで約24億円)で移籍が決定したのだった。
 
 C・ロナウドは当時をこう回顧する。
 
「あの試合が私のフットボール人生を大きく変えました。試合からわずか10日後にはイングランドの新しいチームでトレーニングを始め、新しい挑戦に向かっていたのです」
 
 その後のキャリアは周知の通り。デイビッド・ベッカムのレアル・マドリー移籍で空位になっていた赤い悪魔の伝説的背番号「ナンバー7」をいきなり託されたC・ロナウドは、プレミアリーグを3回、チャンピオンズ・リーグとクラブワールドカップを1回ずつ制覇。さらにバロンドール、FIFA最優秀選手、UEFA最優秀選手、プレミアリーグとチャンピオンズ・リーグの得点王など個人賞も総なめにするなど、世界的なトッププレーヤーへと成長を遂げるのだ。

次ページデ―マはずばりディスカバリー(発見)だ。

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