連載|熊崎敬 【蹴球日本を考える】いまの日本代表に「美しさ」を望めないのはなぜ?

2016年10月07日 熊崎敬

「今日は美しい勝利ではなく、勇気の勝利だ」(ハリルホジッチ)

終了間際の劇的な勝利にスタジアムは酔いしれた。しかし、その内容を見れば、手放しで褒められるような勝利ではなかった。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

 80分を過ぎたあたりから、記者席近くのファンが次々と席を立ち始めた。気持ちは分かる。ゴールの予感がしないのだから。
 
 だが、サッカーは最後の最後まで分からない。
 速報サイトやスタジアムの大歓声で土壇場の決勝ゴールを知ったファンは、どんな気持ちになっただろう。
 
 試合後、ハリルホジッチ監督は例によってよくしゃべった。その中で印象に残ったのが、次の言葉だ。
 
「今日は美しい勝利ではなく、勇気の勝利だ。時々、こういう勝利が必要だ」
 
 たしかに、美しい勝利ではなかった。
 ボールが落ち着かず、ショートパスが流れるようにつながる日本らしいリズムは陰をひそめた。
 
 過去を振り返るとザッケローニ時代は、本田、香川、長友が形成する左サイドのトライアングルで安定的に崩しの形ができていた。だがハリルホジッチ体制には、「ここに収めて、こう崩す」という形がない。
 
 指揮官はまだ、セレクトの段階で試行錯誤している。そのため、コンビネーションが成熟する段階に到達していないのだ。
 
 このイラク戦では、4-2-3-1の3の顔ぶれが従来から変わった。右サイドにはいつものように本田が入ったが、トップ下には香川に代わって清武、左サイドには原口が起用された。
 
 この3人のうち動きの鈍かった本田を除き、清武と原口は特徴をしっかりと出した。清武は先制ゴールをアシストし、原口も先制点を決めるだけでなく、鋭いスプリントで左サイドを幾度となく突破した。
 
 だが、清武や原口の好プレーが周りに連鎖するシーンは少なかった。
 
 集団で戦うサッカーでは、ひとりの好プレーがまた次の好プレーを生むものだ。だが熟成以前のハリルホジッチ監督のチームは、ひとりの好プレーがその場限りで終わることが多い。
 
 それは前線でボールを収めるプレーが少ないからだ。
 日本がいい時はボランチから2列目にボールがしっかりと入るものだ。だが、このルートが安定しないため、サイドバックやボランチが前方に顔を出すことができない。こうなると日本の特徴である手数で敵を翻弄することは難しくなる。
 
 前述したように、指揮官がセレクトの段階で悩んでいる間は、日本らしい連係の妙はなかなか出てこないだろう。
 
 だが、これはハリルホジッチだけの問題ではない。本田や香川、岡崎といった主力はコンディションが悪く、彼らに取って代わる次世代も台頭していないからだ。
 本調子ではなくても実績のあるベテランに期待するか、実績がなくてもコンディションのいい若手に期待するか。これは難しい選択だ。
 
 連係を欠くいまの日本代表には、タイを除いて確実に勝てるチームはひとつもない。5日後のオーストラリア戦は苦戦必至。美しさは望むべくもない。求められるのは勇気である。
 
取材・文:熊崎 敬(スポーツライター)
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