【指揮官コラム】カターレ富山監督 三浦泰年の『情熱地泰』|五輪で感じた日本の「美しさ」

2016年08月16日 サッカーダイジェストWeb編集部

共感と感動を覚えた日本柔道の「美しさ」。

リオ五輪の全階級でメダルを獲得した日本の男子柔道。銀メダルに輝いた100キロ超級の原沢久喜も決勝で敗れはしたものの、最後まで攻めの柔道を貫いた。(C) Getty Images

 リオ五輪真っ只中の昨今。我々もリーグ戦の真っ最中でありながらも、やはり日本の活躍は本当に氣になっている。その勇姿に刺激と勇気をもらい明日への活力となっているのは確かで、オリンピックが開幕して以来、そんな日々が続いている。
 
 五輪と言えば、日本のお家芸である柔道は、注目している競技のひとつ。私事ではあるが、僕の仲人を務めてくれた人は静岡学園高時代の恩師であり、当時の柔道部監督を務めていた尊敬する先生のひとりであった。
 
 なぜサッカー部である僕が柔道部の監督に仲人を頼んだのか? それは柔道部監督の野田昭一先生の情熱に溢れた人間性、その「心」に僕が心酔していたからだ。
 
 久しぶりに日本の柔道を見て、先生のことを思い出した。
 
 高校の体育の授業で柔道があり、5時半から朝練をやるサッカー部の生徒を思いやり、「打ち身の格好をして少し休んでいいぞ~」と言ってくれる先生は校内一、怖い先生だった。打ち身の格好で休んでいると、「ヤス」と呼ばれ「サッカー部はどうだ?!」と声を掛けてくれる。そうして先生からはたびたび叱咤激励の言葉をもらっていた。そんな若い頃を思い出させてくれる、オリンピックでの日本の柔道に感謝だ。
 
 柔道界も時代が変わった。柔道着に色がつき、畳の色もカラフルになり、各国のレベルにも変化が見えている。一方で、判定による疑惑が増え、本来の「柔道」から、かけ離れたようなスタイルも目立っている。しかし、そんな時代の変化があるなかでも、「一本」や技を繰り出すことへのこだわりを持つ、日本柔道の美しさには、共感と感動を覚える。
 
 正直に言えば、柔道には、世界選手権とオリンピックくらいしか関心を持たないのだが、特にこの4年に一度のオリンピックで、この日本柔道を誇らしげに、日本人としての誇りと思うのは僕だけだろうか?
 
 今回は、柔道、体操、水泳とメダルはもちろん、その内容の素晴らしさに自然と笑みが溢れてしまう。
 
 前述したように、柔道は必ず攻撃を仕掛け、一本を取りに行く。選手の特長によって違いはあるのだろうが、とにかく技を繰り出す、一本を目指す日本の柔道は、やはり美しく、見ている人を熱くさせるものだ。これはメダルが獲れたかどうかに関わらず、我々にとっては大きな誇りだ。
 
 体操も同じように美しかった。技の形の美しさ、繊細かつ大胆な日本の体操はやはり他国とは異なるように見えた。それほど詳しいわけではないが、個人総合で大逆転の末に金メダルを獲得した内村航平選手の演技には、技と心の大きさ、「勝負強さ」を感じた。
 
 そして水泳だ。おそらく、身体的、体格的にはハンディがあるだろう。それでも、世界で日本人が先頭を泳ぐなんて凄いことだと思う。それこそ、幼児期からの指導の賜物なのだろうか。十数年前に福岡で行なわれた世界水泳で、生のイアン・ソープの泳ぎを見たことがあるのだが、その圧巻の泳ぎを思い出すにつけ、日本人スイマーがこうして世界と堂々と渡り合っている姿は感動の一言だ。文字通り「凄い」としか言いようがない。
 

次ページやはり「美しさ」には攻撃的なプレーが求められる。

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