ロマーリオが鮮やかなループシュートを決める
ロマーリオがピッチで躍動!!(写真は24年12月のもの)。現在59歳ながら身体は引き締まっていて、往時の風格が残る。(C)Getty Images
10月10日夜、リオデジャネイロのマラカナン・スタジアムで、マスターズ(レジェンド)によるブラジル対イタリアのチャリティーゲームが開催された。
この試合は、ブラジルでの事業20周年を迎えたイタリアの電力会社が主催し、リオ州が後援した。ブラジルでは10月12日が「子どもの日」であり、恵まれない家庭の子ども3000人が招待され、約2万人の観衆がスタンドを埋めた。
ブラジルにはイタリアからの移住者およびその子孫が多く住んでいて、両国は文化的・経済的に強い結びつきがある。サッカーにおいても両国はライバル関係にあり、ブラジルはワールドカップを5度制し、イタリアは4度制している。
1982年大会では、2次リーグ最終戦でイタリアが "芸術的フットボール" と称されたジーコ擁するセレソンを破り、その後の優勝へとつながった。一方、1994年大会ではロマーリオ、ベベットらが牽引したセレソンが決勝で延長・PK戦の末にイタリアを下して優勝した(この試合でイタリアの5人目のPKを蹴って失敗したのがロベルト・バッジョだった)。
このチャリティーゲームには、ブラジル側からロマーリオ、カフーに加えてJリーグでもプレー経験のあるベベット(元鹿島アントラーズ)、カレッカ、エジウソン(ともに元柏レイソル)らが出場し、監督はジーコ(元鹿島アントラーズ)。イタリア側からはファビオ・カンナバーロ、クリスティアン・パヌッチ、マルコ・マテラッツィらが出場し、R・バッジョはプレーこそしなかったものの、ピッチに姿を見せた。
この試合は、ブラジルでの事業20周年を迎えたイタリアの電力会社が主催し、リオ州が後援した。ブラジルでは10月12日が「子どもの日」であり、恵まれない家庭の子ども3000人が招待され、約2万人の観衆がスタンドを埋めた。
ブラジルにはイタリアからの移住者およびその子孫が多く住んでいて、両国は文化的・経済的に強い結びつきがある。サッカーにおいても両国はライバル関係にあり、ブラジルはワールドカップを5度制し、イタリアは4度制している。
1982年大会では、2次リーグ最終戦でイタリアが "芸術的フットボール" と称されたジーコ擁するセレソンを破り、その後の優勝へとつながった。一方、1994年大会ではロマーリオ、ベベットらが牽引したセレソンが決勝で延長・PK戦の末にイタリアを下して優勝した(この試合でイタリアの5人目のPKを蹴って失敗したのがロベルト・バッジョだった)。
このチャリティーゲームには、ブラジル側からロマーリオ、カフーに加えてJリーグでもプレー経験のあるベベット(元鹿島アントラーズ)、カレッカ、エジウソン(ともに元柏レイソル)らが出場し、監督はジーコ(元鹿島アントラーズ)。イタリア側からはファビオ・カンナバーロ、クリスティアン・パヌッチ、マルコ・マテラッツィらが出場し、R・バッジョはプレーこそしなかったものの、ピッチに姿を見せた。
この試合で、観衆を最も熱狂させたのはロマーリオだった。白髪にはなっていたが、体つきは現役時代そのままで、動きには往年の風格が残っていた。
前半、エジウソンからのパスを受けて余裕たっぷりにシュートを流し込むと、その直後にはゴール前でDFの頭越しにパスを送り、エジウソンに"お返し"。後半には、ロングパスを受けるとドリブルで2人をかわし、飛び出したGKの頭上を抜く鮮やかなループシュートを決め、さらにもう1点を追加してハットトリックを達成した。
イタリアもパブロ・オスバルドなどが得点して反撃したが、最終的にはブラジルが 8-3 で勝利した。
かつてのスーパースターたちは、たしかに往時のスピードやスタミナは衰えているものの、テクニックと創造性は健在。世界のフットボールの歴史を垣間見せてくれた夜だった。
文●沢田啓明
【著者プロフィール】
1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。
前半、エジウソンからのパスを受けて余裕たっぷりにシュートを流し込むと、その直後にはゴール前でDFの頭越しにパスを送り、エジウソンに"お返し"。後半には、ロングパスを受けるとドリブルで2人をかわし、飛び出したGKの頭上を抜く鮮やかなループシュートを決め、さらにもう1点を追加してハットトリックを達成した。
イタリアもパブロ・オスバルドなどが得点して反撃したが、最終的にはブラジルが 8-3 で勝利した。
かつてのスーパースターたちは、たしかに往時のスピードやスタミナは衰えているものの、テクニックと創造性は健在。世界のフットボールの歴史を垣間見せてくれた夜だった。
文●沢田啓明
【著者プロフィール】
1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。