新監督はエメリで大丈夫!? パリSGの意中の本命はあの闘将だった

2016年07月13日 ジャンルカ・ディ・マルツィオ

アル・ケライフィ会長がこだわり続けたのは――。

7月4日、アル・ケライフィ会長(左)とともに就任会見に臨んだエメリ監督(右)は「すべてを勝ち取りたい」と強い意気込みを口にした。 (C) Getty Images

 セビージャをヨーロッパリーグ3連覇という偉業に導いたウナイ・エメリ監督とパリ・サンジェルマンの間には、すでに6月初旬から新シーズンの監督就任に関する合意が成立していた。
 
 しかし、それが最終的に決定したのはカレンダーが7月に変わってからだった。なぜ、ここまで決定が長引いたのか。
 
 それはパリSGのナセル・アル・ケライフィ会長が、アトレティコ・マドリーのディエゴ・シメオネ監督に惚れ込んで、その招聘に最後までこだわり続けたからだ。パリSGはシメオネに年俸1500万ユーロ(約21億円)という破格のオファーを送った。
 
 シメオネの代理人でもある姉がそれをアトレティコのヒルCEOに伝えると、クラブ内部には大きな動揺が広がった。ヒルはすぐにパリSGに電話をして、シメオネを手放すつもりが一切ないことを礼儀正しく、しかし決然とした態度で伝えた。
 
 こうしてアル・ケライフィの夢は夢のままで終わることになった。
 
 パリSGはエメリに対して、セビージャに対する違約金200万ユーロ(約2億8000万円)の支払い方法が決まらないという理由をつけて、最終的な決定を引き延ばし続けてきた。しかしもはやそんなカムフラージュも必要ない。エメリの監督就任が発表されたのは、それから間もなくのことだった。
 
文:ジャンルカ・ディ・マルツィオ
翻訳:片野道郎
 
※当コラムではディ・マルツィオ氏のオフィシャルサイトにも掲載されていない『サッカーダイジェストWEB』だけの独占記事をお届けします。
 
【著者プロフィール】
Gianluca DI MARZIO(ジャンルカ・ディ・マルツィオ)/1974年3月28日、ナポリ近郊の町に生まれる。パドバ大学在学中の94年に地元のTV局でキャリアをスタートし、2004年から『スカイ・イタリア』に所属する。元プロ監督で現コメンテーターの父ジャンニを通して得た人脈を活かして幅広いネットワークを築き、「移籍マーケットの専門記者」という独自のフィールドを開拓。この分野ではイタリアの第一人者で、2013年1月にグアルディオラのバイエルン入りをスクープしてからは、他の欧州諸国でも注目を集めている。
 
 
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